極度の貧困、窮迫が樋口一葉を作家にした・・・【山椒読書論(134)】
『樋口一葉考』(中村稔著、青土社)は、小気味がよい書である。樋口一葉の作品に対する、権威ある研究者たちの解釈に真正面から異を唱えているからだ。それらの反論は、精緻な論証に裏付けられているので、説得力がある。
一葉の代表作『たけくらべ』については、「美登利は哀れというほかない。遊女となることは親に孝行することになると思っていたのであり、親もそれを当然のこととして疑わなかった。この貧困に由来する美登利一家の意識は決して彼らに特有のものではなかった。『たけくらべ』の哀憐は社会制度から生まれた貧困に由来する。『たけくらべ』の子どもの世界は大人の社会の縮図である。大人の社会の縮図としての世界に美登利も生きている。彼女は女性であるが故に、貧困であるが故に、こうした運命を甘受しなければならない。私には『たけくらべ』はすぐれた恋愛小説にちがいないとしても、それ以上に社会小説であり、女性差別批判、社会批判の小説であると思われる」と述べている。
『にごりえ』については、「これはやるせない男女の宿命を描いた作である。人が異性を愛するとはこれほどに辛く、哀しく、切ない」と語っている。
後に一葉を筆名とした樋口夏子は、1872(明治5)年に生まれ、肺結核のため24歳という若さで世を去った。一葉は、彼女にしか書けない、いくつかの小説を書くと同時に、厖大な日記を遺している。この日記には、こまごまとした日常の生活や、母、妹を初め、身近に接した人々についての率直な感想を記述しているので、彼女の心中を窺い知ることができる。
日記を踏まえて、著者は一葉の性格、生き方をこのように捉えている。「夏子はいかなる貧困、窮迫にもたじろがぬ強靭な精神を持っていた。この貧困、窮迫は他に類をみない。父則義が遺した負債の返済までその責任を負っていた。しかも、50歳代の半ばを過ぎた母親と20歳に満たない妹との3人にとって資産がないことはもちろん、生活の手段としては着物の仕立て、洗張り、洗濯など、誰にでもできることだけであった。生活が窮乏するのは当然であった。しかも、一葉は極度の近眼であったから、仕立物などは得意ではなかった。だから、一葉が生計の手段として小説家を志したのは、自然の成り行きであったといえるだろう。しかし、彼女の生前、彼女の筆をもって生計を立てることはできなかった」。
「それだけに彼女はしたたかであり、ある意味で、他人の好意を利用することも躊躇しなかったと思われるし、久佐賀(彼は、借金を申し込んできた一葉に、その見返りとして一葉の身体を要求した)との交渉にみられるように、きわどく、あやうい、綱渡りのような言辞を弄して、金を引き出そうともした。しかも、彼女はけなげで、矜持たかく、自らを持すること堅固であった。また、彼女は生計のために書肆の意向に沿うことを潔しとしなかった」と、熱い共感を寄せている。
こうした貧困、窮迫が作家としての一葉を培ったのであり、一葉が嘗めた辛酸と辛酸に耐えて自らを持する姿勢こそが彼女の創作を育てる培地だったのである。