『論語』を素読すると、体に心地よさが沁みてくる・・・【続・リーダーのための読書論(8)】
素読のリズム
「素読(そどく)」とは、文章の意味は考えずに、声に出して文字を読むことだ。昔の子供たちは、幼い時分からこの方法で『論語』に親しんできた。しかし、この素読というのは案外難しい。なぜなら、『論語』の本のほとんどが解釈に重きを置いて、声に出して読むことはそれほど重視していないからである。
その点、『声に出して読みたい論語』(齋藤孝著、草思社)は、タイトルどおり、声に出して読むのに最適な『論語』となっている。全ての漢字に振り仮名が付けられている(総ルビ)ので、迷わずに読むことができる。例えば、よく知られている冒頭の言葉は、このような具合である。「子(し)曰(のたま)わく、学(まな)びて時(とき)にこれを習(なら)う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方(えんぽう)より来(き)たる、亦(ま)た楽(たの)しからずや。人(ひと)知(し)らずして慍(うら)みず、亦(ま)た君子(くんし)ならずや」。だまされたと思って、この部分だけでも素読を試みてほしい。心地よいリズムが体に響いてくることだろう。
一番好きな言葉
『論語』の中で、私が一番好きな言葉は、「子貢(しこう)問(と)うて曰(い)わく、一言(いちげん)にして以(もっ)て終身(しゅうしん)これを行(おこな)うべき者(もの)ありや。子(し)曰(のたま)わく、其(そ)れ恕(じょ)か。己(おの)れの欲(ほっ)せざる所(ところ)、人(ひと)に施(ほどこ)すこと勿(な)かれ」である。弟子の子貢が孔子に「ただ一つの言葉で、一生懸けて行う価値のあるものがありますか」とお尋ねした。先生は「それは『恕』だね、思い遣りということだ。自分がされたくないことは、人にもしないように」と言われたというのである。
著者曰く、「名文や名句は、声に出してくり返し読み、そらで言えるまでになったとき、はじめて自分の意識の奥底に入っていきます。そのときに、物の見方や理解力に変化が起き、学びが自分のものとなります」。
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