榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

非正規という労働環境で生きる若者の短歌集・・・【山椒読書論(790)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年5月9日号】 山椒読書論(790)

書評キャンパスat読書人 2021』(大学生と「週刊読書人」編集部著、読書人)の中で、文学部2年の大澤悠乃が『歌集 滑走路』(萩原慎一郎著、角川文庫)をこう評している。「<非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている>。萩原慎一郎さんは、非正規の仕事につきながら現代短歌を紡いだ。望む仕事が得られない悔しさ、いじめをうけた学生時代の想起、孤独を、短歌へと昇華して詠み続けた。『負けるな』という言葉は、同じ境遇にいる者達へ向けたエールであるだけでなく、強く言い切ることで、自身もそうあれるよう想いを込めた祈りにもよめる」。この書評には脱帽あるのみで、付け足すことは何もない。

●抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ
●挫折などしたくはないが挫折することはしばしば 東京をゆく
●恋をすることになるのだ この夏に出逢いたかったひとに出逢って
●いつの日もきみの本心見えなくてジェットコースターの浮き沈みあり
●毎日の雑務の果てに思うのは「もっと勉強すればよかった」
●夕焼けをおつまみにして飲むビール一篇の詩となれこの孤独
●生きるのに僕には僕のペースあり飴玉舌に転がしながら
●クロールのように未来へ手を伸ばせ闇が僕らを追い越す前に
●遠景になっている恋二十代なのになあって夕陽に嘆く
●冬の陽が照らす椅子ありそこに君おらねど君の面影探す
●ノートには青春時代の悩み事ぎっしり詰まって柘榴のごとし
●まだ結果だせず野にある自販機で買いたるコーラいまにみていろ
●恋人が欲しとにわかに願いたるわれは二十代後半となる
●屋上で珈琲を飲む かろうじておれにも職がある現在は
●ここにいるあいだはここで与えられたる仕事こなしてゆくのみである
●これというものみつからず苦しみし十七歳は歌に出逢いき
●遠くからみてもあなたとわかるのはあなたがあなたしかいないから
●かっこいいところをきみにみせたくて雪道をゆく掲載誌手に
●冬空の下で切なくなったりもするよな それを乗り越えてゆけ
●傷ついてしまったこころ どぼどぼと見えぬ血液垂れているなり
●ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる
●非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ
●箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる
●健闘を祈ると言って荻窪で別れた友はどうしているか
●今日も雑務で明日も雑務だろうけど朝になったら出かけてゆくよ
●癒えることなきその傷が癒えるまで癒えるその日を信じて生きよ
●非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている
●平凡を嘆きたる夜に非凡なるひとの書を読む近付きたしと
●今日という日を懸命に生きてゆく蟻であっても僕であっても
●湯槽にてしばし忘れるいやなこと「あしたはきっといいことあるさ」
●創作の活力として君がいる 電車の窓の向こうの未来
●君と踏み出す明日あれ今はまだ恋に発展していないけど
●叩け、叩け、吾がキーボード。放り出せ、悲しみ全部。放り出せ、歌。
●空を飛ぶための翼になるはずさ ぼくの愛する三十一文字が
●いきいきと躍動をするそのこころ伝えるための口語短歌だ
●あこがれのままで終わってしまいたくないあこがれのひとがいるのだ
●屈辱の雨に打たれてびしょ濡れになったシャツなら脱ぎ捨ててゆけ
●眠るしか選択肢なき真夜中だ 朝になったら下っ端だけど
●夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから
●頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく
●好きだ 好きだ 好きだ 好きだと伝えても届かない恋ばかりしてきた
●かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む
●読書とは対話することだと書きし『方法序説』デカルトを読む

個人的なことだが、萩原慎一郎が東京・杉並の荻窪生まれで、4歳直前まで南荻窪の社宅で暮らしたことを知り、荻窪育ちの私は親近感を覚えた。

この第一歌集の発行直前に、32歳で自死したことは、何とも残念である。