榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

死期を悟ったスター脚本家の、あまりにも赤裸々な自伝・・・【情熱的読書人間のないしょ話(188)】

【amazon 『私の裏切り裏切られ史』 カスタマーレビュー 2015年10月4日】 情熱的読書人間のないしょ話(188)

千葉県流山市のオオタカが棲息する「市野谷の森」は、午後ということもあって、鳥の声も虫の音も聞こえない静寂の世界でした。人にも出会いません。ニホンマムシが潜んでいる可能性があるため進入禁止となっている細い脇道を拾った枝で叩きながら(ニホンマムシ除けです。女房は怖々と後ろから付いてきました)、奥にある直径30mぐらいの池まで行ったところ、立ち枯れた木が池に林立する幻想的な景観を形作っていました。森の中には、いろいろなドングリ(ブナ科の樹木の実)が落ちています。森を抜けた所で、ニホンアカガエルをカメラに収めることができました。因みに、本日の歩数は11,407でした。

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閑話休題、1970年代に半沢直樹シリーズのように視聴者を夢中にさせたテレビドラマがありました。ヒロインが苦労を重ねて伊豆・熱川の老舗旅館を盛り立てていく『細うで繁盛記』と、大阪の商社の創業者の立志伝である『どてらい男(やつ)』です。これらの原作者兼脚本家が花登筐(はなと・こばこ)でした。

55歳の花登が肺がんで亡くなる直前に力を振り絞って綴った自伝が、『私の裏切り裏切られ史』(花登筐著、朝日新聞社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)です。視聴者をあれほど虜にした花登が、自分を裏切った者たち、自分が裏切った者たちを実名で登場させたのですから、面白くないはずがありません。因みに、彼の最期を看取ったのは、3番目の妻で女優の星由里子でした。「死に直面した人間ほど強いものはない。おそらく君は知らないだろうが、昨年私は出血性胃かいようの大手術をして、死と生の間をさまよった。幸い一命は取り止めたが、君の指摘するように、たえずもめごとを起こしながら仕事を続けてきた。単に業の深い人間なら、とうに抹殺されているに違いなかろう。だからこれは単なる暴露ではない、すべてが真相である。死の前に事実を書こうと思ったのが私の意図である」。

「だが、誰も中野氏を困らせるようなことは、しなかった。中野氏が、本社の意向にさからってまで、強引にこの番組(『細うで繁盛記』)を作ったことを、皆が知っていたからである。『中野さんを男にしよう』。それが東宝テレビの楠美氏、大貫プロデューサー、読売テレビの小泉ディレクターや私の合言葉であったからである。無から有を生じるテレビドラマというのは、こうした人間関係の結果が成功不成功に通じるのである。そして、そこに『裏切り』行為がないことが第一の条件なのである」。

「疲れ切った心身が、求めるところは家庭であろう。だが、(菊田一夫)先生には幼い時から家庭があってなかった。素晴らしい女性秘書はいたし、自ら伴侶と称された女性もいたが、その時はもう先生は孤独であった。いろいろと女優との浮名を流された先生であったが、やはりそれはあくまで仕事に対して、自分を燃やす情熱の現れであったに違いない。自分を駆り立てることで気力を作る――。私はそれが劇作家の宿命であることを、最近初めて気付いた。やはり先生も家庭というやすらぎの場が欲しかったのだと思う。劇作家というのは、一見他人から見れば、わがままで好き勝手なことを言う人種と見えるかもしれない。しかし、無から有を作り出さねばならぬ時に、何かの活力を生み出すことが必要なのである。それも体力や気力が消耗してきた時に、より求めるものである。手術後、私はそれを身をもって感じ取った。だが、私には幸い家庭がある。しかし菊田先生にはあってなかったのである」。

「そうした『心』を重視し、作品を書く私達テレビ界の人間が、どうして『裏切り』『裏切られる』行為を繰り返しているのであろうか――」。

「どの会社にも派閥があるように、テレビ局にもそれがある。ただ、他の業種の場合、一つの新製品を出し、売れ行きがある程度分かるのには最低数カ月を要するであろうし、販売店で先の予測をしたりするだろう。しかし、テレビ局の『番組』という名の製品は、魔の視聴率なる売り上げが、その翌日にはもう分かる。そして、視聴率というものは、未だにUFOのような謎の存在である。そのUFOに一喜一憂し、それによって派閥の対立が更に高じてくることは多々ある。その結果が、テレビ局の営業、編成、制作関係のスタッフ、作者から俳優達の死活問題にまで影響する。その上に、それを提供する番組のスポンサーの発言権の偉大さが加わるが、そのスポンサーの判断もUFOの視聴率が多分の根拠となり、若干は宣伝担当氏の好みも理由になっているかも知れない」。当時も今もテレビ界は変わりがないようですね。