欧米には寝たきり老人がいないというのは、本当か・・・【情熱的読書人間のないしょ話(249)】
神奈川県・鎌倉を散策中に、寺へ向かう途中の住宅街の一角で、女房が、まあ、かわいいと声を上げながら駆け寄った先に、幸せそうな男女が寄り添う小さな石像が佇んでいました。寺の石鉢の水面にはイロハモミジの落ち葉が浮いています。因みに、本日の歩数は20,670でした。
閑話休題、「欧米には寝たきり老人がいない」という情報に接した時以来、本当だろうか、本当だとしたら、なぜだろうかという疑問を抱いてきたのですが、今回、『欧米に寝たきり老人はいない――自分で決める人生最後の医療』(宮本顕二・宮本礼子著、中央公論新社)を読んで、全ての疑問が氷解しました。それだけに止まらず、満足のいく最期を迎えるために、高齢者の終末医療はどうあるべきかを考える必要性に気づかされました。
欧米には、なぜ寝たきり老人がいないのでしょうか。「ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係の本にも書かれています。他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと、『自分の国でも寝たきり老人はいない』とのことでした。・・・『なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?』。答えはスウェーデンで見つかりました。2007年に、認知症を専門にしている妻(内科医・宮本礼子)と一緒に、認知症専門医のタークマン先生の案内で、ストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想どおり、寝たきり老人は一人もいませんでした。胃ろうなどの経管栄養の患者もいませんでした。その理由は、高齢者が終末期を迎えると食べられなくなるのは当たり前で、経管栄養や点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。日本のように、高齢で食べられなくなったからといって経管栄養や点滴はしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした」。著者夫妻(夫も内科医)が諸外国の実情をその目で確かめるため、6カ国の終末期医療を見て回った結果が詳細に紹介されています。
「欧米の人は『人生は楽しむためにある』『ベッドの上で、点滴で生きていて、何の意味があるのか』『楽しいとかうれしいとかがわからなくなってしまっては、生きていても仕方がない』とはっきり言います。そのため、経管栄養などで延命されることなく、思いきりよく死んでいきます。生き方の違いが、死に方の違いに表れているのではないでしょうか」。
一方、日本では寝たきり老人だらけなのはなぜでしょうか。希望しない延命が行われる理由が、率直に挙げられています。第1は、我が国にある延命至上主義、第2は、自分はどのように死んでいきたいかを家族に伝えていないこと、第3は、医療機関にとっての診療報酬や、家族にとっての高齢者に支給される年金の重みなどの社会制度の問題、第4は、医師が遺族から延命措置を怠ったと訴訟を起こされる危険性があること、第5は、倫理観の欠如――の5つです。5番目の「倫理観の欠如」はこのように説明されています。「医療者も家族も、自分は受けたくない延命措置を物言わぬ高齢者に行っています。高齢者の人権を守るべきです。欧米豪では、高齢者の延命は倫理的に問題があるとして行われていません」。「事実、アメリカでは終末期には人工呼吸器を外すのが当たり前で、そうしないと逆に訴えられます」。
自然な看取りは餓死とは違うと、著者が強調しています。「終末期の高齢者に胃ろうも点滴もせずに看取る国があるという話をすると、決まって『餓死させるのか』『餓えや脱水で、苦しんで死ぬのでは』といった質問が返ってきます。おなかがすいて苦しいのが『飢え』で、飢えで死んでいくのが『餓死』です。空腹を強く感じるからこそ苦しいのです。終末期の高齢者は食欲がほとんどありません。胃腸も弱り、食べ物も受けつけません。仮に何か食べたいとしても、ほんの少し食べ物を口にするだけで満足します。つまり『飢え』や『餓死』ではありません。また、『口渇』を訴えるときは、少量の水や氷を口に含ませてあがるだけでのどの渇きは癒やせます。点滴ではのどの渇きを癒やすことはできません。・・・胃ろうも点滴もしないで、眠るように安らかに亡くなる、という事実を裏づける研究があります。動物を脱水や飢餓状態にすると脳内麻薬であるβーエンドルフィンやケトン体が増えます。これらには鎮痛・鎮静作用があります。自然な看取りで亡くなった方にも同じことが起こっているはずです」。
混同しがちな「尊厳死」と「安楽死」については、このように説明されています。「日本でいう『尊厳死』とは、不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて死期を引き延ばす延命措置を断り、自然の経過で亡くなる死のことです。これに対し、『安楽死』は、医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早める死のことです」。
本書を読み終わると同時に、女房に私の延命措置は一切行わないように指示しました。遺書にも記す積もりです。
本書は一般向けに易しく書かれていますが、医療関係者や厚生労働省の政策立案担当者にも読んでもらいたい一冊です。