榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

独自の世界観・審美眼を有する前衛歌人・塚本邦雄が選んだ112首とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(274)】

【amazon 『珠玉百歌仙』 カスタマーレビュー 2016年1月11日】 情熱的読書人間のないしょ話(274)

東京・杉並の永福の散歩会に参加しました。和泉熊野神社の狛犬を冬の太陽がかっと照りつけています。杉並区立郷土博物館の庭に置かれている民間信仰の石像は実にいい面構えをしています。松ノ木遺跡では古墳時代後期の庶民の住居跡が推定復元されています。発掘された当時実際に使われていた粘土製の竈にはびっくりしました。大宮八幡宮の境内の大きなイチョウ、ボダイジュは見事です。散歩会の世話役・長谷川雅也さんの、「前九年の役に向かう源頼義・義家親子が、大宮八幡宮の地などで行った戦勝祈願には、土地の武士団を自軍に取り込もうという狙いがあったのでは」というユニークな仮説に感服仕り候。因みに、本日の歩数は19,549でした。

P1050751

P1050748

P1050743

P1050738

P1050742

P1050734

P1050727

P1050726

P1050729

閑話休題、塚本邦雄という独自の世界観・審美眼を持つ前衛歌人が、脈々と詠い継がれてきた和歌の中からどういう作品を選んだのかという興味に駆られて、『珠玉百歌仙』(塚本邦雄著、講談社文芸文庫)を手にしました。

112首が選び抜かれていますが、私の好みに合致したのは、奈良時代~平安時代の5首でした。

穂積皇子(?~715)の「家にありし櫃に鏁(かぎ)刺し蔵(おさ)めてし恋の奴(やつこ)のつかみかかりて」は、このように解説されています。「彼(穂積皇子)は母を異にする妹但馬皇女を愛してゐた。ところが彼女は、これも腹違ひの兄高市皇子の妃に迎へられてゐた。近親間の恋愛や結婚は別に咎めもない世であつたが、さすがに姦通はタブーだつたらしい。・・・木の容器にしつかと閉ぢこめておいたはずの恋の奴隷、煩悩の鬼が、いつしかそこから脱出して、この私に挑戦する。・・・戯(ざれ)歌ではあるが、その自嘲の苦いひびきは、現代人の胸をもひたひたと打つやうだ。・・・これらの歌は物語を背景に置いて聴く時、あついものがこみ上げて来る」。

大伴家持(718?~785)の「雄神(をかみ)河紅にほふ嬢子(をとめ)らし葦付(あしつき)採ると瀬に立たすらし」は、こうように評されています。「季節は河に春の氷きらめく正月、二月の頃、河に下りて、葦の根につく食用の水苔を採る娘らのはなやかな衣服が水に映える。そして『紅にほふ』は彼女らの頬の色、冷たい水でかじかんだ指の色までも想像させる。笑ひさざめく声が河のせせらぎにまじつて遠くまでひびいてくる。この光景をながめる作者家持は、事実に即するなら三十そこそこの男ざかりだ。初句、二句、三句でぶつぶつと切れ、上、下句共に『らし』で終る特殊な構成は、息をはづませてゐる若者の姿さへ連想させる」。

聖武天皇(701~756)の「道に逢ひて咲(ゑ)まししからに零(ふ)る雪の消なば消ぬがに恋ふとふ吾妹(わぎも)」は。こんなふうです。「早春のあはゆきの降りしきる道で、ふとすれちがつた若者と少女が偶然申し合せたやうに立止つて振り返り、彼はとたんにどぎまぎして目礼、彼女は顔を赤らめて小走りに過ぎ去る。一目の恋、永遠に新しくそして最も古典的なテーマだ。・・・全体がゆつたりとして、一種のユーモアを漂はせ、しかもみやびと気品に満ちてゐるのはさすがだ。・・・まさに天平の恋の風景である。時代と作者の大らかさ、やさしさが十分にうかがはれる。雪さへも清らかにゆたかに降つたことだろう」。

読人知らずの「ほととぎす鳴くや五月(さつき)のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな」は、このように説明されています。「恋ゆゑにこころみだれて、物の形や事のけぢめもはつきりしない夢うつつのさまを、熱に浮かされたやうな調べでよみ上げてゐる。時は初夏、山にはほととぎすが鳴き、野にはあやめ(菖蒲)がかをる。さみだれは心の中にもけむり、ひねもすよもすがら、うつうつとしてせつない。・・・いきいきとした季節感を盛り上げ、風物と人事のえも言はれぬ美しい交感が、見事な世界をかたちづくつてゐる。・・・『ほととぎす』は耳に、『あやめ』は鼻にうつたへ、目は『あやめも知らぬ』すなはち黒白も文目も見えない状態なのだ。心のままに、さつと歌い流したやうに見えながら、実はこまかく技巧をこらしてゐるのがわかろう」。

和泉式部の「夢にだに見であかしつるあかつきの恋こそ恋のかぎりなりけれ」は、このように高く評価されています。「直線的、情熱的で、しかもこまやかな調べを持つ(和泉式部の)その詠風は、あるいは今日にいたるまでの、あるゆる歌人を通じて十指に入れてよいかも知れない。・・・初句から結句まで息つくひまもなくたたみかけるやうなリズムは、まさに圧倒的で、彼女のおびただしい恋の秀歌中、殊に目立つものだ。恋人の姿を、うつつにはもちろん、夢にすら見ることができず明かしてしまつた暁、この恋こそ、おそらくは悲恋のきはみであらうと、彼女はむせぶやうに歌ひ、かつなげく。・・・和泉式部の作は一頭地を抜いて鮮烈な印象を与へる。あふれる情、それをせき止めて練り上げられた言葉、その双方の一体となつた力のたまものだらう。紫式部、清少納言、赤染衛門、伊勢大輔と、当時才女は肩を並べてゐたが、歌才において和泉式部を越えるものはない」。

このような恋の歌を口ずさむと、心が洗わるような気がします。