アフリカのバッタの大群に挑んだ昆虫学者の苦難と笑いに満ちた探検記・・・【情熱的読書人間のないしょ話(898)】
家の中に入ってきた小さくて黒いクモは、殺したり追い出したりしないでください。人間には無害で、小バエやダニなどを獲物にしているアダンソンハエトリというクモだからです。因みに、本日の歩数は10,156でした。
閑話休題、『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎著、光文社新書)は、近年よく目にする類いの昆虫本ではありません。若き日本人昆虫学者がアフリカのサバクトビバッタの大群に挑んだ探検記です。
「アフリカではバッタが大発生して農作物を喰い荒らし、深刻な飢饉を引き起こしている。・・・(アフリカのバッタ研究を)誰もやっていないのなら、未熟な博士でも全力をかませば新しい発見ができるかもしれない。バッタの大群に巻き込まれながら、アフリカの食糧問題も解決できる。その上、成果を引っ提げて凱旋すれば、日本の研究機関に就職が決まる可能性も極めて高い。見えた! バッタに喰ってもらえて、昆虫学者としても食っていける道が開けるではないか! 夢を叶えるのに手っ取り早そうなので、アフリカに行ってみたのは31歳の春。向かった先は日本の国土のほぼ3倍を誇る砂漠の国・西アフリカのモーリタニア」。
「その頃、私は苦境に立たされていた。私に許されたモーリタニア滞在期間は2年間。この間に得られるであろう成果に、昆虫学者への道、すなわち就職を賭けていた。ところが、なんということでしょう。60年に一度のレベルの大干ばつが、どストライクで起こり、モーリタニア全土からバッタが消えてしまった。私はアフリカに何をしに来たのだろうか。私の記憶が確かならば、野生のバッタを観察しに来たはずだ。我ながらなんと気の毒な男だろうか。飢えに苦しむ人たちにしてみれば、バッタのことなどちっぽけな問題かもしれない。だが、こちとら人生を賭けており、バッタが出なければ路頭に迷ってしまう」。
12月に至り、「バッタが続々とモーリタニアに戻ってきていた。運命の第2ラウンド開始である。この闘いで、なんとしても結果を残さなければ、昆虫学者を続けるための次のポストを獲得できない。人生を決する正念場を迎えていた」。
「待ちに待ったバッタシーズンが到来した。大発生の兆しはまだないものの、少数のバッタの目撃情報が相次いでいた。大群に包まれたいなどと贅沢は言わない。野外でバッタを観察できるだけで幸せだ。ようやくミッションを再開し、全国を慌ただしく駆けずり回っていた」。
「連日にわたる観察から、冬場のバッタの活動パターンがようやく見えてきた。成虫は、体が十分に温まっていれば飛び回れるので天敵に捕まることはまずないし、好きな所にいられる。日中の気温が高い時間帯は地面や丈の低い植物に潜んでいるが、日が暮れてくると比較的大きな植物に移動し、そこで夜を過ごす。高い移動能力を活かし、一日の中でポジションを変えていることが判明した」。
「車に驚いて、バッタがチラホラ飛びはじめた。いるぞ。明らかにバッタの数が増えてきている。バッタの大群は近い。胸の高鳴りを抑えるのに必死になりながら、道なき道を突き進む。期待と緊張感は高まるばかりだ。目の前に立ちはだかる巨大な砂丘を大きく回り込み、視界が開けた瞬間、億千万の胸騒ぎが全身を走った。大量のバッタが群れを成し、黒い雲のように不気味に蛇行しながら移動していた。その尾の先は地平線の彼方にまで到達している。想像を遥かに超えた異様な光景に唖然とする。『こんな巨大な群れを退治するとか、どうやったらいいのよ』。こんなものに闘いを挑もうとしていたとは、私はなんと無謀なのか。あまりの果てしなさに茫然とする」。
「バッタは成虫になると長距離を飛翔できるようになり、一日に100km以上も移動する。それを追いかけながら殺虫剤を撒布するのは、困難を極める。そのため、機動力が低い幼虫のうちに防除するのが鉄則とされている。卵から孵化した幼虫が成虫になるまで1カ月弱の猶予があり、バッタの早期発見が求められる。砂漠をパトロール中の調査部隊は、毎日、バッタの発生情報を無線で研究所のラジオ局に連絡する」。
「モーリタニアに渡り、2年半が過ぎ、手掛けた研究が続々と論文になりはじめていた。論文を発表したことで、研究所内で皆の私を見る目が変わっていた。『コータローは貧乏だが、これまでモーリタニアに来た外人研究者とは一味違うぞ。本気でバッタの研究をやろうとしているぞ』。(ドライバー兼ガイドの)ティジャニが言いふらしたおかげで、研究所内で私を見下す人間はもはやいなくなっていた」。
「『成虫の大群が出現した』。研究所に戦慄が走った。あれだけ防除活動を必死で行っていたのに、一体どこで見逃してしまったのか。誰も責めることはできなかった。砂漠はあまりにも広大すぎた。すべてをカバーするのは不可能に近い。防除の手を逃れたバッタは、砂漠奥地で人知れず集合を繰り返し、小さな群れ同士が合流して次第に成長し、巨大な群れへと変貌を遂げていた。・・・『コータロー、あっちを!!』。ティジャニの声が砂漠に響きわたる。植物に群がる幼虫に気をとられていた私は頭を上げ、目を細める。遠くの空で黒い物体が不規則に動き、徐々にこちらに迫ってきていた。全身に緊張が走る、この光景、忘れるものか。空が黒に覆われたとき、私は怒りに染まっていた。貴様を追うばかりに、私がどんな目に遭ってきたのか知っているのか。どれだけの犠牲を払い、どれだけの辱めを受けてきたことか。黒い雲と化した悪魔の群れは、私を嘲うかのごとく飛び去っていく。その優雅さは、私の怒りを逆撫でした。もう逃がさぬ。地の葉てまでも追い詰めてくれるわ」。
「人類史がはじまって以来、何人たりとも解決することができなかったバッタ問題。この手で手掛かりを得るべく、群れを追いかけながら飛翔に関すること、エサに関することなど、目に映る全てのデータを可能な限り連日にわたって収集する。学術的にも、応用的にも最も重要そうなところを集中的に調査していた」。
読後、デイヴィッド・リヴィングストン、リチャード・フランシス・バートン、ジョン・ハニング・スピーク、ヘンリー・モートン・スタンリーなどの、19世紀の血沸き肉躍る探検記だけでなく、本書のように型破りな探検記もなかなかいいぞ――という感を強くしました。