榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

織田信長の一代記『信長(公)記』と画像は信頼できるのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(932)】

【【amazon 『信長研究の最前線(2)』 カスタマーレビュー 2017年11月5日】 情熱的読書人間のないしょ話(932)

東京・杉並の富士見ヶ丘~西荻窪を巡る散歩会に参加しました。松庵稲荷神社には、元禄3(1690)年と元禄6(1693)年の銘のある庚申塔があります。個人の住宅の一角の高~い鳥居の伏見稲荷には、度肝を抜かれました。光明寺跡民間信仰塔は圧巻です。奥に左から寛文5(1708)年銘の庚申塔、宝永5(1708)年銘の念仏供養塔、享保4(1719)年銘の地蔵菩薩、寛文10(1670)年銘の日侍塔、入り口近くの左右に3基ずつ享保8(1723)年銘の六地蔵菩薩が収められています。寛文5年銘の庚申塔は、青面金剛ではなく地蔵菩薩を尊像とする比較的古い型の供養塔です。街角に享保7(1722)年銘の道標付き庚申塔が祀られています。住宅の庭に大きなケヤキが聳えています。因みに、本日の歩数は18,434でした。

閑話休題、『信長研究の最前線(2)――まだまだ未解明な「革新者」の実像』(日本史史料研究会監修、渡邊大門編、洋泉社・歴史新書y)は、織田信長を巡る16の研究テーマで構成されています。

「信長の一代記『信長紀』はいかなる書物か」と「信長の顔・姿は、どこまで本物に近いのか」を、とりわけ興味深く読みました。

『信長公記』という書名は研究者の間にも浸透しているが、近代になってから付けられた題名と思われることから、筆者は『信長記』という表記を選択しています。

太田牛一の手になる『信長記』は、信長の一代記として最も頻繁に引用されるが、その史料的価値は認められているのでしょうか。多くの研究者から史料的価値を高く評価されており、信長研究の大家である谷口克広などは、「信憑性の高さはもとより、『<信長記>なくして信長の伝記は成り立たない』と評価」しているほどです。

「『信長記』の信頼度が高いのは、やはり信長のそば近くに仕えた経験のある家臣が記したものだからだろう。しかも、著者が筆まめという側面も大きかった。・・・このような特徴を持つ『信長記』は、他の軍記物に比べて各段に信憑性は高く、書状や日記などのいわゆる一次史料に比肩できる信頼度があるが、編纂物であることを忘れてはならないだろう」。

信長の顔として私たちが思い浮かべるのは、愛知県豊田市・長興寺蔵の画像(長興寺本)であるが、これ以外にも多くの画像――神戸市立博物館本、大徳寺本、報恩寺本、總見寺本など――が残されていることを知り、驚きました。「信長の画像には没後10年以内(つまり生前の彼の容姿を知っている者が大勢健在であった時期)に描かれたと思われる筋のよい(伝来が明らかな)、史料になりうる画像も複数存在する。この時代の武将で、こうした例は珍しい」。

これらの画像に共通しているのは、面長な顔、広い額、えらの張った顎、大きな鼻、はっきりした目、鼻の下と顎の髭、眉間の縦皺です。ということは、実際の信長がこういう顔をしており、周囲を畏怖させる雰囲気を漂わせていたということでしょう。