榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

貴族・サムライアリは奴隷・クロヤマアリがいないと生きていけないのだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1434)】

【amazon 『織田作之助と蛍』 カスタマーレビュー 2019年3月24日】 情熱的読書人間のないしょ話(1434)

野鳥観察会に参加し、29種の野鳥を観察することができました。何度もホヴァリングを繰り返すチョウゲンボウを目撃したものの、残念ながら撮影は失敗。この写真は同行の新保國弘さんが撮影したものです。モズ、ツグミ、巣作りの場所を探すツバメ、コガモの雄、雌、ヒドリガモの雄、雌、小魚を銜えたコサギをカメラに収めました。鳥に食われたカマキリの卵鞘が見つかりました。ソメイヨシノ、シダレザクラが咲いています。因みに、本日の歩数は17,226でした。

閑話休題、個人完訳の『完訳 ファーブル昆虫記』(全10巻、集英社)で知られる奥本大三郎の随想集『織田作之助と蛍――奥本大三郎随想集』(奥本大三郎著、教育評論社)は、当然のことながら昆虫に絡むエッセイが大部分を占めています。

「頭の中の大図書館――南方熊楠」には、こういう一節があります。「熊楠本人としては、人に褒められようとけなされようと、気に入った書物は筆写さずにはいられないのである。彼は書き写すことのマニアであって、しかも書き写したものはその頭の中にクッキリと残ったようである」。

「およそ博物学というものは、フィールドでの実地の観察、採集と、図書館、博物館での文献渉猟の二つの作業から成る。そのどちらが欠けてもいびつなものになるしかない」。奥本は、熊楠とジャン・アンリ・ファーブルに共通する観察眼に注目しています。

「異端者の視線――ファーブル」では、『ファーブル昆虫記』が日本ではよく読まれているのに、ファーブルの国フランスを初め外国では人気がない理由がこう説明されています。「ファーブルは、実際にその目で見たことだけを記録し、考察するという態度で、昆虫の行動の世界を解明しようとした。彼は生きた昆虫の行動を観察するということに開眼したわけだが、じつを言うと、それは彼のまわりではいわば異端者の視線を持つことだったのである」。

「『昆虫記』が何故こんな風に日本で受け入れられたか、と言えば、それは日本人が子供の時から虫と遊び、大人になっても虫は『花鳥風月』とも表現される、その芸術生活の重要な要素のひとつだったからである。・・・フランスやアメリカではそうではないのだ。トンボは刺すかもしれない、いやらしい虫であるし、クワガタムシはおそろしいbugなのである。・・・ふつうのフランス人に、虫を見つめるという習慣はない。日本人のように、虫を見る、虫と遊ぶという風習は持たない」。

「遅読術」では、速読術がこてんばんにやっつけられています。「こちらの邪推かもしれないが、速読術、速読術と言いたてる人は、もともと本を読むことが嫌いで、読書なんか苦痛なのであろう。そういう本に飛びつく人は、要するに、読書という手続きを省略して、中身だけを、それも必要事項だけを、それこそピンポイントで手に入れたい、と考えているのに違いない。もちろん、文体とか細かい表現なんかどうでもよい。新幹線に乗って旅をするのと同じである。早く結果を手にしたいのである」。この後、味わいながら楽しく読む奥本の読書法に筆が及んでいるが、私は奥本の読書法に賛成票を投じます。

「アリの貴族、または怠惰について」では、サムライアリ(=日本産はサムライアリ、ヨーロッパ産はアカサムライアリ)の身の毛がよだつ話が紹介されています。「サムライアリは帯状の群れとなり、ずんずん行進していく。行く先はクロヤマアリと言う、別のアリの巣である。ひとたび相手の巣に侵入するや、サムライアリはクロヤマアリどもの抵抗をものともせずに戦う。・・・アカサムライアリは戦いのプロなのであり、その目的は略奪である。盗む物はただひとつ、クロヤマアリの繭である。その中にはクロヤマアリの生きた蛹が入っている。すなわち、アカサムライアリの群れは幼児誘拐の軍隊なのである。やがて、アカサムライアリの巣に運び込まれた繭からは若いクロヤマアリたちが羽化してくる。繭を破って異境に生まれてきたクロヤマアリの新成虫たちはなんと、アカサムライアリのためにせっせと働き始めるのである。巣の中のゴミを片づけ、食物を集め、侍たちの身の回りの世話をする。まるっきり奴隷である。しかも、こうして働くことに何の疑問も抱いていないのだ。彼らはサムライアリのフェロモンを体になすり付けられ、自分たちもサムライアリだと思い込んでいるのである」。

「サムライアリたちはこの奴隷を使役し、いい気になってのうのうと、古代ローマの貴族さながら、長椅子に寝そべって饗宴を催すのだろう、という想像は半分当たっているが、実を言うと彼らの怠惰さはそれ以上であって、食物も、自分で食べるのではなく、クロヤマアリに口元まで持って来てもらい、食べさせてもらうというから恐れ入る。そこに食べ物があったとしても、自分で食べるのはめんどうだから食べない、というのではない。クロヤマアリの奴隷がいなければ、そのまま餓死してしまうのである。激闘のプロではあるけれど、家の中のことはそこまで奴隷に頼り切っていて自分では何もできない。クロヤマアリの巣になだれ込んだ時相手を殺さなかったのは、やがてまたこの奴隷アリのコロニーが復活してくれないと困るからである」。

昆虫好きには堪らない一冊です。