榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ロバのプラテーロに語りかける形で綴られた散文詩集に癒やされる・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1454)】

【amazon 『プラテーロと私(抄)』 カスタマーレビュー 2019年4月6日】 情熱的読書人間のないしょ話(1454)

セイヨウシャクナゲが白い花を咲かせています。オウバイが黄色い花を付けています。我が家の庭の片隅で、紫と白のコントラストが美しいオダマキが咲き始めました。東京駅で、サントリーフラワーズが作出した青いバラ、アプローズと青いカーネーション、ムーンダストが展示されています。イーピーメディカル時代の仲間たちと楽しい一時を過ごしました。因みに、本日の歩数は10,901でした。

閑話休題、『プラテーロと私(抄)――アンダルシア哀歌』(ファン・ラモン・ヒメネス著、谷口江里也訳、未知谷)は、1956年にノーベル文学賞を受賞したスペインの詩人、ファン・ラモン・ヒメネスの詩集です。

『プラテーロと私』は、ロバのプラテーロに語りかける形で綴られる散文詩集だが、訳者の谷口江里也は、その魅力をこう解説しています。「特異性と地域性と普遍性が、人間や動植物を含めた命と、それを育む自然や街という、人間にとってなくてはならないものとの触れ合いを通して描かれ、それらが融合されて誰にもわかる美へと昇華されていることにおいて類い稀な作品です」。

「考えてみれば『プラテーロと私』に書かれているのは、スペインの田舎の小さな街モゲールでの、たった1年たらずの出来事です。なのにどうして、そんな地球の片隅で100年も前に書かれた言葉が、それから遠く隔たった地球の裏側の現代を生きる私たちの心に、そして世界中の人々の心にいまなお深く沁みるのでしょう」。

例えば、「友情」という詩の一節。<私たちはお互いにわかりあっている。私がプラテーロの好きなように歩かせると プラテーロはいつだって 私が行きたいところに連れて行ってくれる。・・・プラテーロは情熱を内に秘めたお嬢さんみたいに素直で 私に文句を言ったりなんて決してしない。プラテーロにとっての幸せはきっと私と一緒にいることなんだと思う。だって、ほかのロバたちや人間たちを避けているようにさえ見えるから>。

「散歩」の一節。<夏の盛り、若々しいスイカズラが垂れ下がっている路を 嬉しい気持ちに満たされて路を行くプラテーロと私。私は本を読んだり歌を唄ったり、空に向かって詩をつぶやいたりする。プラテーロは、道端の牧場の柵の影になったところの草や 埃にまみれて咲いているゼニアオイの花や 黄色いビナーグレ・ドレッシングにつかうハーブをもぐもぐと食む。・・・ともあれ、私たちの路行きは、ほどよいほどに短くて まるで色々ある人生の、ふとしたなかの とても気安くて気持ちがいい一日のよう。空を見ても、神の気配なんて感じない。川を見ても、遠い国々とつながっていることなんて考えない。もちろん、山火事が引き起こすかもしれない悲しいことなども>。

「お城」の一節。<ほら、夕陽が沈んでいく。大きくて緋色で、目に見える神さまみたい。あらゆる恍惚と共に現れ そしてウエルバの先にある海の水平線の向こうに去っていく。圧倒的な静寂の時、この世の至福。この世っていうのはつまり、モゲールとその自然 そしてお飴と私のことだよ、プラテーロ>。

心癒やされる詩集です。