縄文時代、弥生時代を考え直そうという意欲的な論文集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1502)】
ビヨウヤナギが黄色い花を咲かせています。タイサンボクが香りのよい大輪の白い花を付けています。白いヒエンソウ(チドリソウ)を見かけました。花弁のように見えるのは萼です。フキが育っています。因みに、本日の歩数は10,147でした。
閑話休題、『再考! 縄文と弥生――日本先史文化の再構築』(国立歴史民族博物館・藤尾慎一郎編、吉川弘文館)は、縄文時代、弥生時代を考え直そうという意欲的な論文集です。
「AMS-炭素14年代測定法は、測定に必要な炭素の量が耳かき1杯分の1mgという極微量ですむので、土器に付着しているススやお焦げなど土器との同時性が確実なものを試料とすることができるようになった。こうした科学技術の進歩が、縄文土器の出現年代や水田稲作の開始年代を大幅にさかのぼらせた背景にあり、その結果、土器の出現が後氷期から晩氷期までさかのぼったり、水田稲作が紀元前10世紀には始まっていたりすることが明らかになったのである」。
「弥生時代が始まっても縄文文化と弥生文化が600年も併行する段階、これは室町時代から現代までの長さに相当する長い時間である」。
「李昌煕の『紀元前1千年紀の韓日関係』は、朝鮮半島南部の青銅器文化前期~鉄器文化と弥生文化との約1200年間におよぶ交流の質の変化について論じたものである。この間の交流は、朝鮮半島南部から九州北部、もしくは九州北部から朝鮮半島南部へという双方向のものであり、しかも時期によって交流の中身が異なることを指摘する」。
「李昌煕は3つの段階を設定する。まず紀元前11世紀に、朝鮮半島東南部の前期青銅器文化の要素である孔列文土器やコメ・アワ・キビなどのイネ科植物が縄文晩期末の九州・中国地方にもたらされる。しかしそれほど大がかりな人の移動を伴うものではなかったのか、縄文社会を根本的に動揺させるほどに大きな影響を与えたわけではなく、土器レベルの属性導入というレベルにとどまるものであった。次に紀元前10世紀後半に比定される朝鮮半島南部青銅器文化前期末に、水田稲作を生産基盤とする文化複合体が九州北部玄界灘沿岸地域にもたらされる。移住を含む組織的・大規模な人の移動を想定するこの文化的インパクトによって、縄文社会は崩壊して弥生社会が成立する。紀元前4世紀になると九州北部と朝鮮半島南部との間で双方向の人の動きが活発化する。青銅器や鉄素材を求める九州北部弥生人の朝鮮半島南部への移動であったり、紀元前3世紀にみられる朝鮮半島南部から九州北部への青銅器工人の移住、もしくは招へいであったり、さらには慶尚南道勒島遺跡や長崎県原の辻遺跡を拠点とした朝鮮海峡をまたいだ漢韓倭交易の開始である。これまで、楽浪郡が設置される紀元前2世紀末以前に中国との交流は行われていないと考えられていたころと比べると隔世の感がある」。
いささか専門的ではあるが、縄文時代、弥生時代を新しい視点から考えようとするとき、恰好の一冊です。