移民、あるいは移民に出自を持つ女性たちは、どう生き抜けばいいのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1596)】
土手で、ヒガンバン属のヒガンバナ(赤色)、ショウキズイセン(ショウキラン、リコリス・トラウビ。黄色)、シロバナマンジュシャゲ(白色)、ナツズイセン(ハダカユリ、リコリス・スクアミゲラ。薄紫色)が咲いています。シロバナマンジュシャゲはヒガンバナとショウキズイセンの自然交雑種と言われています。因みに、本日の歩数は10,979でした。
閑話休題、『三人の逞しい女』(マリー・ンディアイ著、小野正嗣訳、早川書房)は、フランスのゴンクール賞を受賞した長篇小説であるが、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ部が緩やかに繋がっている連作集といった趣を漂わせています。
いずれも、移民、あるいは移民に出自を持つ女性たちが主人公だが、これは著者自身の背景を反映しています。訳者あとがきには、こう記されています。「移民にせよ難民にせよ、彼ら・彼女らは、よりよい生活――安全で自由で、より多くの可能性に開かれた社会――を求めて故郷をあとにしてきた(あとにせざるを得なかった)人たちでもある。・・・三人の女性たちは、(Ⅰ部の)ノラも、(Ⅱ部の)ファンタも、(Ⅲ部の)カディも、『逞しい』という形容詞が喚起するイメージからはほど遠い女性たちだ。むしろ彼女たちは、悩み、悲嘆に暮れ、疑念に駆られ、騙され、無力な怒りに苛まれ、ときに辱められている。・・・移民社会と言われるフランスでさえ、異なる背景を持つ者たちが共生することは難しい。異なる出自を持つ人々のあいだにはつねに疑念や迷いや無理解や敵意が已まれ、ときには血の流れる激しい対立や不和が生じている。しかし、それでもなお、遠いところからやって来た者たちとともに生きることを諦めてはいけない――そう三人の女性たちは、言葉ではなくその存在のありようそのものによって示しているように思える。なぜなら、もし彼女たちの生き方に共通点があるとすれば、それは、わかりやすく単純な正解を性急に求めようとするのではなく、むしろ正解などどこにも見当たらない不確実や不可解な状況をひたすら耐え続けるという態度だからだ。・・・そのような生きる姿勢こそが、この忘れがたい三人の女性たちの持つ『逞しさ』なのかもしれない」。本書の持ち味と存在価値が的確に表現されています。
一括りに「移民」と呼ばれていても、彼らは、一人ひとりの物語を背負っていることが、本作品から生々しく伝わってきます。また、どんな境遇に置かれようと諦めてはいけないという著者の囁きも聞こえてきます。
「結婚をくり返し、多くの子に恵まれた父、とくに美男というわけではないが、頭脳明晰で、如才なく立ち回り、非情にして利に聡く、極貧から抜け出して一財産築いてからは、恩義を感じて服従する者たちにつねに取り巻かれていた男、あのちやほやされていた男がいまひとりぼっちで、おそらく誰にもかえりみられることがない――そう思うと、積年かかえてきた漠たる恨みが、本意ではなかったけれど晴れていく気がした。・・・哀れな父さん。この人がぎこちない飛び方しかできない、いやな臭いを発する鈍重な年老いた鳥になるなんて誰に想像できただろう?」。おまえに言わなくちゃならん重大で深刻な話があるという父からの連絡を受け、パリで弁護士をしている38歳のノラが、アフリカで暮らす父に15年ぶりに再会した時の心境です。
何と、30年前に父に連れ去られた3歳年下の愛する弟・ソニーに、思いがけないことが起こっていたのです。
起伏のあるストーリー展開だけでなく、「ドアを開けたとき、ほほえみを浮かべた優しく頑迷な悪が入ってきてしまったのだ」、
「転落することで不幸を使い切ろうとするかのように母は困窮していき。借金を重ねてはカード会社と交渉をくり返してばかりいた」、
「悪魔が5歳の少年の腹に入り込み、以来ずっとそこに居座っていた」、
「その晩、暗くなる前に家の敷居のところに出たのは、そこに、いつもと変わらずじっと立ったまま、辛抱強く飛び立つ瞬間を待っている父がいると知っていたからだ。・・・父はすでに心ここにあらずという様子だった。たぶん近づきつつある夜に心を奪われ、鳳凰木の暗いねぐらに一刻も早く戻りたくてうずうずしていたのだろう」――といった、ンディアイ独特の表現も印象に残りました。