榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

今や、シルクロードを10万円、10日間で踏破することができる!・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1658)】

【amazon 『10万円でシルクロード10日間』 カスタマーレビュー 2019年10月31日】 情熱的読書人間のないしょ話(1658)

スケルトニクス(株)の廣井健人・阿嘉倫大・伊藤伸朗が開発した、人間が乗れる外骨格ロボットが展示されています。身体の拡張を通じて人間の可能性を拡張することを目指しているとのこと。今日はハロウィーンですね。因みに、本日の歩数は10,382でした。

閑話休題、『10万円でシルクロード10日間』(下川裕治著、KADOKAWA)は、3つの魅力を備えています。

第1は、選(よ)りに選って、砂漠の難路というイメージのあるシルクロードを旅しようという発想。

第2は、しかも、そのシルクロードを10万円、10日間で踏破しようという具体的なやりくり算段。

第3は、美しい写真と、簡にして要を得た説明によって、現在のシルクロード――西安~敦煌~トルファン~ウルムチ~カシュガル~アルマトイ~タシケント~サマルカンド~ブハラ――を目の当たりにできること。さらに、かつてシルクロードを行き来した人々に対する想像力を掻き立てられること。

「砂漠化した一帯は、当時も難所だった。しかしそこを越えてオアシスに入ると、どこからともなく果物と羊肉のにおいが漂ってくる。オアシスの豊かさを、鼻孔で実感していく旅でもある。シルクロードを支えたのは、ソグド人という民族だった。シルクロードというと、砂漠を進む隊商のイメージが強い。しかし多くの物資は、オアシスに暮らすソグド人が、次のオアシスまで、リレーのバトンのように運んでいった。ソグド人は根っからの商売人だ。ゾロアスター教を信じていた彼らは、音楽と酒を愛する快楽主義者でもあったといわれる。中央アジアの都市の原型は、オアシスのなかにつくられたソグド人の街である。そこではやや哀調を帯びた音楽を耳にすることができる。その音階はシルクロードを伝い、イランや南ヨーロッパまで広まっていった。ソグド人の色彩感覚は、いまの中央アジアに残っている。原色を使ったアトラスという柄を、中央アジアの女性たちは好んで身に着ける。モスクやイスラム神学校の壁にはめられた青いタイルと、中央アジアの空。そのなかでソグド人が愛した柄が揺れているのだ。かつて、パッケージツアーが主流だったエリア。しかしいま、ビザもとらずに気軽に向かうことができる。そのテキストに本書を役立ててほしい」。

「シルクロードを大きく区別すると、西域南道、天山南路、天山北路に分かれる。敦煌周辺で分岐するのが、西域南道と天山路だ。天山路はこの先、トルファン周辺で天山南路と天山北路に分かれていく。最初に栄えた道が西域南道である。敦煌から塩湖であるロブノール(=ロプノール)の北側を通り、楼蘭を経て、タクラマカン砂漠の南側のチャルクリクに出て、ホータン、カシュガルと進んでいく。ロブノールの南側を通るルートがサブルートとして使われていたという。このルートは前漢の時代にはすでに、交易路の役割を果たしていたという。紀元前の話だ。敦煌やその先にある莫高窟は、シルクロードを代表する観光地だが、その理由のひとつがこの歴史である。シルクロードができあがったときから君臨するオアシスだった。しかし西域南道はしだいに衰退していく。理由は楼蘭を廃墟にしてしまうほどの乾燥化が進んだからだ。水の補給が難しくなっていく。その後に、このルートを通過したのが西遊記のモデルになった三蔵法師こと玄奘三蔵である。彼はインドに十数年滞在する。そして帰路に就いた。7世紀半ばである。この頃、シルクロードの本流はすでに天山路に移っていた。なぜ、彼が西域南道を選んだのかというと、天山路に比べればその距離が短かったからだ。・・・玄奘三蔵は廃墟になった楼蘭を目にしている。しかし西域南道が完全に廃道になったわけではなかった。13世紀まで年代はくだるが、マルコ・ポーロもこの西域南道を通ったといわれる。本書は敦煌から天山路を進み、トルファンをめざすことになる」。

漢民族のエリアを抜け、ウイグル世界の入り口・トルファンに入った著者は、そこかしこに見え隠れする現代中国の闇に気づきます。「街角に立つ警官。ひっきりなしに通るパトカー。まるで戒厳令下の街のようだった。ホテルに入るのに必ずセキュリティチェックを受けなくてはならない。バザールの入り口にも、X線検査機が設置されている。そこに荷物を通し、検査機ゲートを通り、その先でボディーチェック。そしてリーダーに身分証明書をかざし、モニターに映し出された顔との照合・・・。ウイグル人はバザールでタマネギひとつ買うのにもこのチェックを受けなくてはならなかった。新疆ウイグル自治区で、何回となく起きた反政府テロへの対応だった。ウイグル人たちは、おとなしくチェックに従っていた。中国政府はウイグル人の行動に神経をとがらせている。一帯一路の政策に拍車をかける。シルクロード経済圏構想ともいわれるものだが、その輸送路は新疆ウイグル自治区を通っている。そのなかで息をひそめるように暮らすウイグル人だが、笑顔は失っていなかった。バザールに入り、シルクロードらしいクルミや干しブドウが並ぶ店のおじさんは、人懐っこい笑みをつくる。果物屋のおばさんも微笑みかけてくる。つらい時代でも、笑顔を忘れないという遺伝子。シルクロードは、時代の権力に常に晒されてきた。そのなかを生き抜いてきた彼らの処世術こそ、シルクロードそのものにも思えるのだ」。

この個所を読んで、東京での、ある勉強会で出会ったウイグル人青年のことを思い出しました。新疆大卒・東大大学院修士課程修了の彼はMR(医薬情報担当者)になりたいという強い希望を持っているのに、どこの会社からも受け入れてもらえず困惑しているというのです。そこで、直ちに私の会社で採用し、MR資格を得るための教育を施したところ、飛び抜けて優秀なだけでなく、同世代の日本人よりも日本人的で礼儀正しいことに驚きました。MR になってからも、期待どおりの活躍をしてくれたことは言うまでもありません。現在は中国に虐げられているウイグル人たちよ、頑張れ!