榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

虫大好き人間による、古今東西の虫を巡るエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1700)】

【amazon 『虫の文学誌』 カスタマーレビュー 2019年12月11日】 情熱的読書人間のないしょ話(1700)

東京・文京の小石川後楽園の紅葉、黄葉に心が癒やされました。

閑話休題、『虫の文学誌』(奥本大三郎著、小学館)は、虫大好き人間による、古今東西の虫を巡るエッセイ集です。

「皇居のハエ」には、面白いことが書かれています。「ハエは嫌われものであるが、昭和天皇の時代に皇居で園遊会が開かれることになった際、東京医科歯科大学の衛生昆虫学の加納六郎先生のところに、宮内庁から問い合わせがあったそうである。『なんとか園遊会の食べ物にハエが来ないようにしてほしい。ただし薬剤などを撒いてハエを殺すのは困る』。昭和天皇はそういう薬剤などを撒いてハエを殺すことなどが大変お嫌いだったようである。その時に加納先生は一計を案じて、普通の食物よりもっとハエが好むものを草むらに隠しておいた、つまり魚のはらわたとか、腐ったものなどを罠(トラップ)に仕掛けて草むらに隠しておいたのである。すると、ハエはそっちのほうがアトラクティブなので、人の食べ物のほうには来なかった。大成功である。先生のほうも、同時に、大量の(研究用の)ハエを捕まえることが出来た、という次第」。

これには、後日談があります。「(皇居で)長期間にわたり合計50万匹のハエを捕まえたそうだが、結果を分析してみると、そのうちのほとんどが、昔から武蔵野にいる野外性のハエで、普通の民家などにいるイエバエの仲間は大変少なかったそうである。それは、東京の真ん中でありながら、皇居というところにいかに野生が残っているかということの証拠にもなるのである」。

「狂歌の中のカ」は、何とも人間臭い話です。「大田蜀山人作とされる狂歌に、<世の中に蚊ほどうるさきものは無し 文武文武と夜も寝られず>というのがある。田沼意次の後、老中になった松平定信は、寛政の改革を強行する。まず綱紀粛正をとなえて、後ろ盾を失った田沼を追い落とした。身分は低いが有能な、今なら重商主義者とでも言われるであろう彼を、汚らわしい収賄の徒とし処罰したのである。・・・定信は、今、伝えられているところではコチコチの儒教思想の信奉者で、農本主義のもとに倹約を強い、文武両道を奨励する。田沼時代の贅沢と好景気に慣れた人々は、そういう、清く、正しく、慎ましく、の緊張感というかピューリタニズムに耐えられず、上下を問わず困惑したようである。<白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき>というのもある」。

「ハーンの見た虫の音めづる日本人」には、虫に対する日本人と西欧人の姿勢の違いが現れています。「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、明治の日本に来て、日本人が虫に親しむことに感動した。・・・<日本の文学におけると同様に、日本の家庭生活のなかにおける虫の音楽が占めている位地、これはわれわれ西欧人にとっては、ほとんどまだ未開発のままになっている精神領域に発達した、一つの美的感受性のあることを実証していはしないだろうか。あの縁日の虫屋の、降るように虫の鳴きすだいている屋台は、西洋ならばそれこそ不世出の詩人だけが洞察するもの――たとえば秋の美しさのもつ悲喜哀楽、夜の声の妖しい美しさ、森や野のこだまにそそられる思い出の妖術のようなす早さ――を、ただの庶民が、だれもかれもおしなべて理解していることを示していはしないか>。ハーンがこう言って讃えているのは。もちろん明治の日本のことである。現代の日本では、詩でも、散文でも、鳴く虫に関する情趣を取り上げたものがだんだん少なくなっているのは残念なことである。われわれを取り巻く環境が変わり、虫自体が減っているということもあるけれど、現代日本人の耳には、虫の声はだんだんと聴こえなくなってしまったのではないかという気がする」。私が子供だった昭和20~30年代は、あちこちで、キリギリス、スズムシなど鳴く虫が売られていたことを、懐かしく思い出しました。