榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

紫式部は、二十巻本の『万葉集』を漢字本文で読んでいた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1709)】

【amazon 『万葉集と日本人』 カスタマーレビュー 2019年12月20日】 情熱的読書人間のないしょ話(1709)

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閑話休題、『万葉集と日本人――読み継がれる千二百年の歴史』(小川靖彦著、角川選書)では、平安時代前期の紀貫之、平安時代中期の紫式部、平安時代後期の藤原定家、中世の仙覚、江戸時代の賀茂真淵、近代の佐々木信綱らに、8世紀末に成立した『万葉集』がどう読まれてきたかが考察されています。

とりわけ興味深いのは、「紫式部が読んでいた『万葉集』」です。

『源氏物語』を執筆した紫式部は、二十巻本『万葉集』を読み、豊かな文学的エネルギーを得ていたというのです。その例証として、「末摘花」の巻と、「宇治十帖」の「蜻蛉」の巻(宇治川に身を投げた浮舟の死の光景を、薫が想像する場面)が挙げられています。

光源氏が、故常陸宮の姫君で、気の利いた対応のできない末摘花の邸宅に出かけた時、「末摘花に仕える女房たちが、寒さに震え、愚痴をこぼし合っています。・・・この部分には(山上憶良の)『貧窮問答歌』を思わせる表現が至る所に認められます。『寒さ』への嘆き、粗末な食事とみすぼらしい衣服、恨みがましい不平不満のことばは、まさに『貧窮問答歌』の長歌が描いた『貧窮』の姿です。・・・光源氏は結局末摘花を不憫に思い、末永く面倒を見ることになります。『貧窮』の中を生きる人間をカリカチュアライズ(戯画化)しながら、同じこの世を生きる人間として温かな同情を寄せるのも、『貧窮問答歌』で憶良がとった視点です。紫式部は憶良から『貧窮』の描き方に加えて、『貧窮』に対する視点も学び取ったのです。・・・紫式部は二十巻本の『万葉集』に収められた『貧窮問答歌』を、漢字本文で読んでいたのです。平安時代の人々が顧みることのなかった憶良の『貧窮問答歌』を、紫式部が漢字本文のままに読み、憶良の文学精神まで読み取っていたことは驚くべきことです」。

平安時代の一般の貴族たちが見つめることのなかった『貧窮』や人間の死の姿というものに、紫式部は『万葉集』や『家持集』を通じて向き合っていたのです。