和田誠の、ほんの数行では終わらない書評集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1714)】
モズの雌、カイツブリをカメラに収めました。キダチチョウセンアサガオ(エンジェルズトランペット)が、まだ頑張っています。因みに、本日の歩数は10,504でした。
閑話休題、『ほんの数行』(和田誠著、七つ森書館)は、著者が読んだ本たちの中から数行を選び出し、それに関してあれこれ縦横に語っています。
<なるほど、弔辞は伝記なんだ>――丸谷才一『挨拶はたいへんだ』。「丸谷才一さんはスピーチの名手として知られている。最初に余計な時候の挨拶や自己紹介などはしない。したがって長くならない。興味深いエピソードが語られる。ユーモラスである。などがその特徴だが、原稿を読む、というのも大きな特徴の一つだ。前もって書くので推敲ができる。そのため現場で慌てない。言葉に詰まって立ちつくすことも、調子に乗って失言することもない」。私のスピーチのやり方と同じなので、非常に気分がよいです。
<正義がどちらの側にあるかなんていうことにはかかわりなく、女性から物をとりあげて幸せになれた男はあまりない>――村上春樹『THE SCRAP』。
<九勝六敗を狙え>――色川武大『うらおもて人生録』。この本から私も大いに刺激を受けたことを、懐かしく思い出しました。
<私は、深夜の書斎で耳を澄ます。いろんな本が啼いている>――久世光彦『家の匂い 町の音』。「久世さんは『本には声がある』と言うのである。ビアズリーの画集にはビアズリーの声がありエドガー・アラン・ポーの声とは微妙に違う、漱石と鷗外とでは声が全然違う、ということだ、本の虫を極めると、本も虫のように啼くのが聞こえるらしいのだ」。私にも、本の声が聞こえることがあります。
<この世の中にたくさんの人間がいて、それは男と女、保守と革新、酒のみと下戸、いろんなふうに二つにわけることができるのだけれども、その中に、ひとつ、かなり強力な分類のしかたとして、むやみと波乱万丈タイプの人生をおくる人間とそうでない人間、というのもあるにちがいない、と思う>――栗本薫『ぼくらの世界』。私のこれまでの人生も、スケールは小さいけれど、波瀾万丈だったと自分では考えています。
<そら、マサシゲさんかてしたはるわ。マサツラさんがいてはるもん>――田辺聖子『イブのおくれ毛』。「(楠木)正成は多くの日本人の尊崇の的だったので、セックスと結びつけることなど畏れ多いことだったのだ。でもこの同級生は『正成さんにも正行さんという息子がいるのだから、セックスしている筈だ』とクールに言う。そういうセリフが面白い」、
<私が知らないことがまだいっぱいあるのだ。もちろん素敵なことが! そう思わなくてはやっていけないではないか>――吉行和子『どこまで演れば気がすむの』。「<私にとっては、心地よい季節とやさしい男は、かけがえのない幸福を与えてくれるのだから>と続く」。
<なんといっても文章は頭の中味の反映ですから>――井上ひさし『井上ひさし全選評』。全く、同感です。
<やっぱり講談社の絵本が原点だと思うね。講談社の絵本も江戸川乱歩も南洋一郎もなかったら、どんな子どもになったんだろうな。魚釣りとセミ採りばっかりでさ、文化じゃないもんね>――和田誠ら『仕事場対談』。私も、講談社の絵本が読書の原点でした。本を読んでいない時は、昆虫採集に夢中でした。
<書を捨てよ、町へ出よう――と詩人は歌った。町へ出て、若者たちは、何か面白いことはないか、とあたりを見回す。しかし、『面白いこと』が起こる町は、本当は捨ててきた書物のなかにあったのだ・・・>――石川喬司『IFの世界』。
<「怖いなと思うのは、今もそうかもしれないということです。あの映画を観た時に思ったんです、戦争は知らないうちに始まってしまうんだなと>。