幼い頃、胸躍らせた絵本『百合若大臣』を読んでみたら・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1730)】
我が家の庭のナンテンやマンリョウの実を啄みに、毎日、ヒヨドリがやって来ます。因みに、本日の歩数は10,449でした。
閑話休題、ふと、幼い頃、絵本の『百合若大臣』に胸躍らせたことを思い出しました。地元の図書館で7冊借り出し、帰りがけに子供コーナーに目をやると、何と、推薦図書の棚に『百合若大臣(ゆりわかだいじん)』(たかしよいち文、太田大八絵、ポプラ社・日本の物語絵本)が並べられているではありませんか。幼時に読んだ本とは違いますが、懐かしさのあまり、その場で読み通してしまいました。
17歳で右大臣となった百合若は、蒙古襲来という国難の救世主となるが、凱旋の途中、家来の別府兄弟に謀られ、玄海の孤島に置き去りにされてしまいます。別府の兄は、百合若の残された美しい北の方に言い寄るが願いは叶わず、池に沈めようとします。そして、苦難の末、遂に、百合若が別府兄弟に復讐を果たすという血沸き肉躍る物語です。往時の興奮が甦ってきました。
巻末の解説に、「『百合若大臣』は日本の代表的な英雄伝説として知られています。といっても多くの伝説みたいにその地方で語り伝えられ、あるいは文献・記録などによって残されたものでなく、人気の語り物として演じられていたのが、あたかも実在した伝説のようにあつかわれてきた創作ドラマです。もともとは室町時代に生まれた幸若舞(鼓にあわせて謡ったり舞ったりするもの)や説教節(物語に節をつけて聞かせるもの)の一つとして語られていましたが、民衆の心をとらえ、その後も『百合若物』と呼ばれて歌舞伎や浄瑠璃にもうけつがれ、ますます広く親しまれるようになりました」とあります。
架空の主人公の痛快な復讐物語ということで、私が目くじらを立てることではないのだが、どうしても気になることが一つあります。
「嵯峨天皇の御代、みやこに、左大臣きんみつというかたがいた。・・・百合若は、すくすくとそだち、十三歳の元服式のあと 四位の少将に任じられ、十七歳で、はやくも 右大臣のくらいにのぼった。右大臣は、幼名にちなんで 百合若大臣とよばれ、大納言あきよりの姫ぎみを北の方としてめとり、なかむつまじくくらした」と、物語は始まります。
「そのころ、中国大陸を支配していた 蒙古が、大船団をひきい、海をわたって 攻めよせてきた。・・・諸国からあつまった 軍勢三十万騎が、(大将の)百合若の軍にしたがった。筑紫にじんどっていた 蒙古の軍勢は、百合若の軍勢がくるとしるや、さっさとひきあげていった」。