図書館長の図書館、本、自由に対する思いが籠もったエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1731)】
本に夢中になっている子供を見ると、微笑ましくなります。日々の読書こそ、愉しけれ――ですね。因みに、本日の歩数は10,287でした。
エッセイ集『図書館長の本棚――ページの向こうに広がる世界』(若園義彦著、郵研社)には、著者の図書館に対する思い、本に対する思い、そして自由に対する思いが込められています。
「パヌンと呼ばれた日本人」は、本に興味を持つ子に育てたいという願いがテーマです。「安井清子著『ラオス 山の村に図書館ができた』(福音館書店)は示唆的である。前世紀末にインドシナ半島ラオスの奥地に図書館をつくろうと奮闘した女性の実践記である。現地の民話を採取しようと入り込んだ電気も通らぬ奥地に魅せられて、ついには図書館を建ててしまう。少数民族モン族の村に住み込み、生活を共にしてパヌン・リーという名前さえもらうほどに馴染む。・・・図書館で目を輝かせる子どもを慈しみ、諸事情で来られない子どもに向ける眼差しも優しい。近代化の波により変化は避けられないものの図書館の原点を教えられる。単なる成功譚でないのが嬉しい。著者はラオス人の配偶者を得てしまう。これも図書館づくりの神秘であろうか」。私も、この本を読んで感動した一人です。
「図書館は何を語るか」では、図書館のあり方が問われています。「マスコミを賑わしているのがツタヤ図書館である。かねて関係者から疑問が呈されていたが、選書や分類などで危惧が現実化した。独自の分類と称して十進分類法とは別の基準で配架したものの、見当違いの分類により探し出すのが困難になったり、選書内容に問題があったりしている」。
「文学部の逆襲」では、文系学部の縮小再編の進行に異議を申し立てています。「社会的要請とは何なのか。安倍首相の言説は『実践的な、職業教育の場』にしようということらしい。経済界からの即戦力、グローバル人材の養成といった求めに応えることになる。経済再生・産業競争力強化などのビジネス用語からは知への敬意は感じられない。・・・絶対的存在であった占領軍に抗した(旧制一高<現東京大学教養学部>の校長・安倍能成の)見識の高さがうかがえる。こうした気概と自負が大学人と文科省には求められている」。私も、リベラルアーツ(文科系)の軽視は、国を危うくすると危惧しています。
「堂々たる批判」は、インターネット時代の匿名性を取り上げています。「不毛で無責任な応酬の根底には匿名性があるのではなかろうか。名前も顔もさらさずに、つまり何の危険も冒さずに攻撃的な立場に立っていられるからだろう。自分を明確にして相手を批判するには、相当な勇気を必要とする。相手に弱みを突かれ攻守ところを変える可能性があるからだ。福沢諭吉には勇気と節度があった。明治時代の名士であり顕官でもあった勝海舟と榎本武揚を厳しく批判した。・・・福沢の立派さは、この(批判)文を公表するに当たり、事前に両者に書簡を送り事実関係の相違を問うていることである。これに対し勝の返答は『行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張』、つまり出処進退は自分で決めることだから、公表はどうぞご自由にされたい、と。榎本は『いずれ其中愚見可申述』と返事する。・・・フェアーで堂々としたやり取りは、明治期の知識人の人物の深みを示している。匿名性に隠れた他者への誹謗中傷や、権力者に阿った大メディアの『忖度』とは大きな違いである」。全く同感です。