榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

万葉集の世界が、こんなに面白かったとは!・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1745)】

【amazon 『こんなにも面白い万葉集』 カスタマーレビュー 2020年1月24日】 情熱的読書人間のないしょ話(1745)

白いウメが一輪、開きかけています。梅一輪 一輪ほどの 暖かさ――服部嵐雪。白いウメの蕾、赤いウメの膨らんできた蕾、マンサクの膨らんできた蕾、サンシュユの蕾、シデコブシの蕾をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,339でした。

閑話休題、これまで、いろいろな万葉集の解説本を読んできたが、『こんなにも面白い万葉集』(山口博著、PHP研究所)が一番面白いと断言できます。

<憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむ そのかの母も吾(あ)を待つらむそ>。『私め憶良は(宴席から)もう帰りますよ。子供がパパ、パパと言って泣いているでしょうし、その子のお母さんも私を待っているでしょうからね』。「万葉歌人の中でのコツコツ組の代表が73歳筑前守で終わった山上憶良」。

「地方は地方、都は天国、地方は天国から遠く離れた田舎、だから『天離る鄙』と万葉では歌われる。都に帰りたい、地方赴任の律令官僚の心底からの思いだった」。<吾(あ)が主(ぬし)の御霊(みたま)給ひて春さらば 奈良の都に召上(めさ)げ給はね>。「憶良も大納言に栄転して帰京する上司の中納言大宰帥大伴旅人に訴嘆した。『貴方様の御心を私めに掛けてくださって、来年の春の異動期には奈良の都に召し上げてくださいね』と。旅人の御霊賜わったお陰か、憶良は都に帰ることができた。しかし、職に就けた形跡はなく、地方勤務の心身の労重なってか、帰京の翌年没してしまった」。

<庭に立つ麻手刈り干し布さらす 東女(あづまをみな)を忘れたまふな>。「エリート・コースを走る若手官僚の地方民政体験として、(藤原宇合は)27歳で常陸守になり赴任する。(鄙には稀な美女)常陸娘子は都に帰っていく宇合に、こう歌った、『庭に立つ麻を刈り取り干したり、それを布にして晒す東女のいたということをお忘れくださいますな』と。人の身を超すほどの長い麻束を抱きかかえて、庭に運び干す。その姿は男女抱擁を思わせるそうだ。娘子は宇合との甘美な抱擁を偲びながら、歌ったのだ。それでも宇合は娘子を捨てて都に帰った。出世のためには田舎娘を泣かしたってどうということはないと」。

<筑波嶺(ね)のさ百合の花の夜床にも 愛(かな)しけ妹(いも)そ昼も愛しけ>。「防人として派遣される少なくとも4年間ほどは、妹(妻)を愛することができない。長の別れが目前に迫っている。常陸の国那賀郡の大舎人部千文は、昼間であるにもかかわらず、ヒシと百合の花のような妻を抱いた。これが最後の抱擁になるかもしれないと。千文は歌った。『筑波山の百合の花のような香りのする夜のベッド、そこで愛しい妻は昼も愛しくて」と。二人を包み込むかのように、百合の花の甘ったるい匂いが立ち込める。危地に赴く夫と妻、『昼も愛しけ』に哀感が漂うではないか』。

<紫草の匂へる妹(いも)を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも>。「(『人妻』と断って恋する歌で)最も知られている歌が、大海人皇子(天武)と額田王との間の歌だ。大海人皇子は、かつての妻でありながら、奪われて今は兄天智の妃となっている額田王を忘れ難く、『紫草のように美しい貴女が憎かったら、人妻であるのにどうして恋することがあろうか』と歌った。天智以下諸臣こぞって紫野で狩猟の最中に、大海人皇子が袖を振り愛のサインを送った。人目を気にした額田王が『茜色を帯びる、あの紫の草の野を行き、御料地の野を行きながら、貴方が袖を振るのを野の番人は見ていないでしょうか』と、<あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや君が袖降る>と、やんわりと咎めたときの、大海人皇子の返歌が『人妻ゆゑに』の歌だ。『標野』は皇室御料地として標(しるし)を付けてある紫草栽培の野、『野守』は紫野の番人だが、額田王の番人である天智をも意味させているとも言われている」。

<福(さきはひ)のいかなる人か黒髪の 白くなるまで妹(いも)の声を聞く>。「人生の晩年に何がいったい幸せなのか。妻を失って夫が、楽しそうに会話をする老夫婦を見て、ため息混じりに歌った、『ああ、あいつは何と幸せな男か。黒髪が白髪になっても妻の声を聞けるとは』と羨望の眼で見詰める。出世も色恋沙汰も幸せではなかった。出世しなくても貧しくてもいい、年とっても元気な女房の声を聞くことができるのが男の最高の幸せ! 年老いた夫婦の間には話すことも少なくなる。それなのにあの妻はしきりに夫に話しかけているではないか。夕風のうすら寒い街中を、ビニール袋を提げてコンビニから帰る後期高齢の男たちには、胸にジーンとくる歌だ」。

本書のおかげで、万葉集がぐーんと身近に感じられるようになりました。