明智光秀の娘で、細川忠興の正室の玉(ガラシャ)とは、どういう女性だったのだろうか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1854)】
カラタネオガタマ(黄白色)、ニオイバンマツリ(紫色)、ハゴロモジャスミン(白色)の花が芳香を放っています。ハコネウツギ(淡桃色)、グラジオラス(赤紫色)、ハナビシソウ(橙色)、アイスランド・ポピー(橙色)が咲いています。我が家の庭で、ジャーマン・アイリス(紫色)が漸く咲き始めました。定位置となっているキッチンの曇りガラスに、今年もニホンヤモリがやって来ました。
閑話休題、『明智光秀と細川ガラシャ――戦国を生きた父娘の虚像と実像』(井上章一、呉座勇一、フレデリック・クレインス、郭南燕著、筑摩選書)に収められている「明智光秀と本能寺の変」、「イエズス会士が作り上げた光秀・ガラシャ像」、「ガラシャの知性と文化的遺産」の章から教えられたことが、いくつもあります。
「細川ガラシャは明智光秀の娘で、本名を玉という。・・・彼女は天正6(1578)年に細川藤孝(幽斎)の長男である忠興と結婚した。共に16歳だったという。一般にこの婚姻は織田信長の斡旋によると言われている。明智家と細川家の関係を強化させるための政略結婚である。・・・天正10年に本能寺の変が起きると、明智光秀に協力しないことの意思表示として、細川藤孝は隠居して幽斎と名乗り、忠興は玉を離縁した。彼女は明智光秀の娘であるから細川家に嫁ぎ、光秀の娘であるがゆえに離縁されたのである」。
「(織田家中で)自分よりもずっと身分が低かった明智光秀に追い抜かれ、あまつさえ(信長に命じられ)光秀の指示を仰ぐ身となった細川藤孝は内心複雑だっただろう。この辺りの葛藤が、本能寺の変の後、光秀に協力しなかったことに影響していると思われる」。
「玉は仏教の様々な宗派の勉学に励んでいた。特に禅宗についての知識が豊富だったと(イエズス会士)フロイスは記録している。『彼女は生まれつき好奇心が強く、知性に優れた人だったので、キリスト教の教理はどのようなものであるのかを知りたいと思うようになった。しかし、夫は(豊臣)秀吉と共に戦さに行き、玉は夫の命令により屋敷内に閉じ込められていたので、望み通りに司祭たちと話し合う機会がなかった。それにもかかわらず、キリスト教の教えについて学ぼうという希望は非常に強まっていったので、神父たちと話す方法を探し求めていた』」。
「(イエズス会士)プレネスティーノは、玉が以前は憂鬱な気性だったのに、キリスト教と出会ってから明るく快活になったという様子を描いている。『これには屋敷全員がすっかり驚いていた。時々、彼女は(高山)右近の奥方(ジュスタ)が羨ましいと言っていた。なぜなら、(右近の)奥方は立派なキリシタンの夫がいて、望むままに神に関する説教を聞くことができるからである』」。
「(石田三成がガラシャを人質にしようとした時)侍女たちは皆、ガラシャと共に死ぬつもりであると言って去ることを拒んだが、ガラシャの命令に強制されて、侍女たちは仕方なく(細川邸の)外に出たという。ガラシャの最期の場面について、(イエズス会士)オルガンティーノは次の通りに記述している。『そうしている間に家老・小笠原殿は、ほかの家臣たちと一緒にすべての部屋に火薬を撒き散らした。すべての侍女たちが外に出てから、ガラシャはただちに跪き、何度もイエズスとマリアの最も聖なる名前を唱えた。彼女が自らの手で首をさらけ出したところ、彼女の首は一撃で切り落とされた。家臣たちはただちに彼女を絹の着物で覆って、その上にさらに多くの火薬を撒き、前方の建屋の方へ立ち去った。というのも、奥方と同じ部屋で死ぬことは無礼だからである。そして、全員が切腹したのであるが、同時に火薬に火を付け、それにより彼らおよび非常に豪華で美しい屋敷は灰燼と化した。ガラシャが外へ出した侍女たち以外は誰も助からなかった』」。ガラシャが自害しなかったのは、キリスト教では自害を神に対する冒涜と見做しているからです。
「生前のガラシャに会ったイエズス会士はセスペデスと高井コスメの二人だけである。細川忠興夫人ガラシャは、謀反人明智光秀の娘で、生来、熱心に知識を求め、『非常な理解力と聡明さをそなえ』、『聞いた事柄をしばしば深く考え、問題をもっと根本的に知ろう』とする性格の持ち主であった。禅宗などの知識に満足を得られなくなり、夫忠興を通してキリシタン大名高山右近の信仰を知り、キリシタンの教えを聞こうとするようになった、とイエズス会に記録されている」。
「(ガラシャが読んでいた『コンテムツスムンヂ』の和訳ローマ字の写本は)キリストに学び、謙遜と善徳をもって神の恵みをいただくことを教えるものである。ガラシャはその内容を実践していた。彼女は完全に性格を変えようとして、憂鬱から明るく元気な状態へ、憤怒から忍耐へ、頑なな烈しい性格から優しい穏やかな性格へと変わり、侍女たちの目に別人のように映った」。
本書のおかげで、ガラシャが身近に感じられるようになっただけでなく、好意を持ってしまいました。