山本太郎の半生記から、彼の考え方、行動の原点が見えてきた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1938)】
今シーズン初めて、ツクツクボウシの鳴き声を耳にしました。鳴いているミンミンゼミを何枚も撮ったのに、辛うじてミンミンゼミと分かる写真は、たった1枚だけでした(涙)。羽化して間もないアブラゼミは、翅に緑みが残っています。ウシガエルの、長さが5cmもある大きな幼生(オタマジャクシ)を見つけました。フヨウが白い花を咲かせています。我が家のアサガオ、センニチコウ、フサゲイトウが漸く咲き始めました。
閑話休題、『山本太郎 闘いの原点――ひとり舞台』(山本太郎著、ちくま文庫)で綴られた山本太郎の半生記を通じて、彼の考え方、行動の原点を知ることができました。
「自由に表現するために芸能界に入ったのに、その場所は想像以上に不自由だった。自分の中での自粛もあったし、外からの規制もある。以前よりも貧乏になったかもしれないけど、今は本当に心地よい」。
「告発なう?(笑) 何があっても覚悟してるよ。それが闘うって事でしょ。僕の事は自分で決着つけるから心配しないで。皆は不条理を押し付けられている人々に引き続き手を差し伸べて下さい。そしていまだ甘い汁を吸い続ける権力
への監視も! m(_ _)m」。
「この『ひとり舞台』というタイトルですけど、ネガティブな意味とポジティブな意味と両方ありますよね。僕のような役者が声を上げることで共感してもらえるという部分と、逆もあって、ただ見世物的になっている部分もある。最初は孤軍奮闘していましたが、いろんな人が声を上げるようになってきた? そうですね。今、いろんな人とつながって一緒の方向を向いてやっていこうとなっていますよね。けど、結局は、普段の日常はみんな一人ひとりなんです。まずひとりのときにどれだけ頑張れるか。で、そこから皆でつながる。ひとりで頑張っているけど、やっぱりひとりでは闘い抜けないから、そこで皆とつながることで巨大な力になり得る。だから、この運動に関しては皆、まず『ひとり舞台』なんですよ。誰しも死ぬときはひとりなんです。そして自分をコントロールできるのは自分だけです。自分がどうなりたいか、どうあるべきか、人生そのものもそこにはいろんなキャストが出たり入ってきたりしますけど、基本は『ひとり舞台』ですからね」。
「今チェルノ帰りです。30km圏内は未だ立ち入り禁止。94の村が廃村に。人の命の重みを判ってるからこその判断。『安全』としか言わず、収束もできていないのに避難地域を縮める日本・・・次の選挙で判って頂くしかありませんね、市民側に寄り添わねば失職する事を」。
「同じような(原発)事故がどこかで起きても政府は今回同様『ただちに影響はない』でノーフォロー。僕たちの人生はビックリするほど簡単に切り捨てられる。絶望的にも見えるこの状況。ひっくり返す方法はたったひとつだけ存在します。市民が立ち上がり、次の選挙で僕たちの側に立って闘ってくれる政治家を国会に送り込むこと。めんどくさ! でも、生き延びるためには、子供たちの明るい未来を作り出すためにはこれしかない。長い間自立したことのないこの国にとって、これ以上の自爆を避け、世界を巻き込む大事故を回避できるかな。はじめてのおつかい状態だね。僕たちはお菓子屋さんに寄ってるヒマはない。時間はないから。地震の活動期だよ。『原発を廃炉に』。原発抜きで電力は足りている。『高汚染地から人々を移動させよう』。このあとがきを書いてる間にも安全として住まわされている汚染地の子供たちは毎秒ごとに被曝し続けている。未来に健康が担保されていない復興なんて形だけのものにすぎない。『放射性がれきの全国拡散をストップしよう』。これ以上国土を汚染することは安全な食と暮らしを放棄することと等しい。1億総内部被曝、受け入れられる?」。山本の反原発の主張は筋が通っていて、説得力があります。
私が、山本を政治家として高く評価しているのは、「野党には、次の選挙で勝つことしか道がない」ことを自覚し、それに沿った行動を強力に展開しているからです。