榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

夏王朝は実在したのか、突厥の歴史とは、老子・荘子の思想とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1980)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年9月15日号】 情熱的読書人間のないしょ話(1980)

センニンソウ(写真1~3)、タマスダレ(写真4、5)、ムラサキツユクサ(写真6、7)が花を咲かせています。イチョウの葉と実が落ちています。

閑話休題、『漢字文化の世界』(藤堂明保著、角川ソフィア文庫)は、漢字の成り立ちから中国歴史に迫ろうという意欲作です。

私にとって、とりわけ興味深いのは、夏(か)王朝は実在したのか、遊牧民族・突厥の歴史とは、老子・荘子の思想とは――の3つです。

夏王朝について――。
「夏の王朝の勢力圏は、黄河中流の洛陽~鄭州のあたりを中心とし、今の河南省のわく内に限られている。『竜山文化』は考古学でいう文化の層の一つであり、いっぽう夏とは、歴史学でいう王朝であって、もともとその概念が違うのである。しかし、竜山文化の末期、その文化の一翼をになった部族連合が興って、洛陽東の偃師県あたりに王庭を置いた可能性はかなり高い。その王朝を夏と呼んだのである。・・・今から4千年前、この丘陵平原に、夏の元祖や羿・寒浞などという大酋長が現れて、中国の大地に、はじめて血なまぐさい権力闘争の社会が登場した。そのうち、勢力の消長はあったものの、夏はどうにか王統を保って、最後の桀王に至った。その間、約5百年の歳月をへた――と考えてよかろう。夏王朝の桀が殷(いん。商とも呼ばれる)の湯王に滅ぼされ、その殷は夏の都に遠からぬ東方の鄭州に、東西2.5キロ、南北4キロに及ぶ大城壁を築いて、ここに中国の歴史時代、殷王朝が本式に幕をあけたことになる。・・・夏という王朝が実在したようだ――ということは、九分どおり認めてよいと思う。殷の湯王に滅ぼされた桀(履癸)という王の存在も、まずまず確かであろう。ただし夏の開祖にまつりあげられている禹が、はたして実在の人の名か――という点になると、それはまことに疑わしいのである」。

突厥について――。
「匈奴の末流にあたる北方の胡人は、みずからを勅勒(チュルク)と呼んでいた。・・・トルコ人の複数Turkeを6、7世紀隋唐のころには突厥とも音訳した。隋唐のころ、この突厥族は東西2千キロにわたるゴビと草原をおさえ、ほぼ漢代の匈奴に匹敵する大集団となった。・・・突厥の本拠は内外モンゴルの地であったが、西突厥は分かれて、漢代の烏孫の故地、つまり天山山脈の西の端へと移り、その峡谷のタシュケント(石国)・千泉に本拠を置いて、天山北路を支配した。唐の太宗のとき、玄奘三蔵がインドを訪れる前に、わざわざ北に大回りをして西突厥可汗の通行の許可を乞うたのは、彼らがアフガニスタンやパキスタンの地まで、隠然たる勢力を誇っていたからであろう。・・・(回紇<ウイグル。これもチュルク人の一部>の)主力は河西回廊を流れ流れ、ついにトルファンに入って農耕の民となり、唐末から北宋にかけてウイグル王国を築いた。・・・(いっぽう西突厥の)根拠地はしだいに中央アジア、アラル海の方へ移った。・・・最も西に流れついて農耕化したのが、後のセルジューク朝、およびオスマントルコの人たちである。・・・東方のモンゴル人と、西方のトルコ系諸民族とは、今日はるかに隔たっているけれども、もとはといえば、東西突厥の血を引く親類なのである」。

老子・荘子について――。
「(小国で)動乱の世を見つめていた老子にとって、わがもの顔に郷土をふみにじる強者の横暴が、まず、むしょうに腹だたしい。次には、生きのびるための弱者の知恵と、しぶといレジスタンスの根性とを育てねばならぬと考えはじめる。最後には、力と利とを奪いあう『競争社会』そのものが、いかにもバカげたものに見えてくる。そして人間の本当のユートピアとは、強権の支配しない、小さな郷村自治の世界であるはずだ、と思いあたるのであった。・・・いまから2千6百年前、古代文明の熟しきった時に、『反文明』のノロシをあげたのが老子であった。・・・ひと口に言えば、『老子』は農村に生きる草の根びとの根性である」。

「(荘子こと)荘周にとっては、世の栄華はひと時の虚構にすぎない。自然という大きなルツボの中から、あらゆる生物は、偶然にある形をなしてこの世に現れ、またルツボの中に戻っていくのだ。とすると、人間も虫けらも雑草も、等しくまにあわせの存在、かりそめの形にすぎないだろう。・・・だから人間だけが偉そうに地上に横行してよいはずがない。山を削り林を根こそぎにして、『これが人間の文明』だ、などと誇れる道理はない。ましてや特定の人間が、その他大勢を支配して横行する権利が、どこにあろうか。そこから荘周の権力に対する攻撃は熱を帯びてくる。・・・『大義名分』などというものは、力ある者が勝手に作り出す『屁理屈』にすぎない。とすると、それに手を貸す聖人の教えも教養とやらも、いな『文化』全体が、虚飾に奉仕する化けものに見えてくる。荘子をいまの世に出現させたら、おそらく『反近代文明』の闘士となったことだろう」。

強者、権力者に対する藤堂明保の激しい物言いは、老子・荘子かと見紛うほどです。この気迫・精神が本書に緊張感を与えているのです。