榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『日本三百名山ひと筆書き』に挑戦中の田中陽希の自叙伝・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2234)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年5月16日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2234)

トケイソウ(写真1、2)、スイセンノウ(写真3、4)、カシワバアジサイ(写真5)が咲いています。ケムリノキ(スモークツリー。写真6、7)の雌木の花が散った後、伸びた花柄が煙のように見えます。ウメ(写真8)が実を付けています。

閑話休題、私はNHK・BSのグレートトラバース・シリーズの『日本百名山ひと筆書き』、『日本二百名山ひと筆書き』、『日本三百名山ひと筆書き』の田中陽希の大ファンです。従って、田中の自叙伝『それでも僕は歩き続ける』(田中陽希著、千葉弓子構成、平凡社)を読まないで済ますわけにはいかないのです。

「2012年、僕は九州を旅しました。そのとき29歳だったのですが、佐賀県に住む父方の祖父母に10年ほど会いに行っていなかったんです。95歳になる祖父が入院いていたこともあって、秋に休みを取って、1週間ほど一人で佐賀に行くことにしました。・・・それまでは登山口まで車やバスなどで移動して、そこから歩き始める登山をしていました。山と山の間を歩いてみると、風景や街並みが変化していくのがよくわかるんですよ。こういうのが旅なんだなぁ、と充実感に満たされました。アドベンチャーレースでは得られない感覚でした。これを全国で行ったら、自分にとってすごくいい経験になるんじゃないかと考えたんです。自分はこういうことがしたかったんだ、と気づきました。・・・『そうだ、日本百名山を全山徒歩のみで登ろう!』と思い立ったのです」。

「正人さんから『テレビ局に相談してみたらいいんじゃないか?』とのアドバイスをもらい、ゴールドウインの田口さんを通じて、NHKに相談しました。その結果、幸運にもドキュメンタリー番組として密着取材をしてもらえることになりました」。

「2014年4月1日0時に屋久島からスタートした百名山ひと筆書きの旅は、何もかもが新鮮でした。スタートと同時に撮影が始まったわけですが、ある程度の映像が集まらないと番組はつくれませんよね。それで実際に番組が始まったのは、数ヶ月後のことでした」。

「百名山を終えたとき、僕の中では『やり切った』という強烈な感覚がありました。真っ暗なうちから利尻山に登って、雲に覆われた真っ白な山頂に立ったとき、景色は何も見えなかったけれど、すごく嬉しかったんですね。満身創痍でしたけれど、充実感で満たされ、この後すぐに何かをすることはまったく考えられませんでした。この百名山の旅で、僕は気づいたことがあります。それは、どんなことがあっても最後までやり遂げることの大切さ」。

「2016年、『日本二百名山ひと筆書き』を北海道からスタートした際には、旅のスタートに合わせて、百名山ひと筆書きの映像を15分に再構成した番組が毎朝、放映されるようになっていました。そんなこともあって、道内を歩いていると『今朝、テレビを見たよ』と声をかけていただくことが多々ありました。東北に入った頃には、その数が一気に増えました。サインや写真撮影を求められることも急激に多くなり、その対応に追われるようになって、徐々に旅を心から楽しめなくなっていきました」。

「チームイーストウインドのメンバーとしてアドベンチャーレースの国際大会に出場していたときにも、『もっと自分を変えていかなければいけない』と強く感じた時期がありました。そのときと同じように、二百名山の旅ではたくさんの人と関わる中で、百名山のときとはまったく違う心境に至っていました。旅の途中のある時期、自分の中に二人の自分が存在したんです。自分自身の行動を肯定する自分と、否定する自分です。・・・最終的に自分が出した結論は、『もっとフラットでいいんじゃないか』ということでした。・・・そう決めてからは少しずつ心に余裕も生まれてきて、『ありがとうございます』という感謝の言葉が自然に出てくるようになりました。『すみません』と連発していた毎日から『ありがとう』と言える毎日に変わっていきました。二百名山という旅によって、自分は再び変わるきっかけをもらったのだと思います」。この田中の心境の変化は、番組を見ていた私にも分かりました。

「百名山から始まったこれらの旅はもともと自分自身の成長とアドベンチャーレースのアピール、アドベンチャーレーサーとしての自分の幹を太くするために行ってきたことです。でもこの三百名山はそれだけじゃないのではないか。むしろ、別の意味を持ち始めているのではないかと感じています」。三百名山を達成した後、田中がどう変わっていくのか、どう成長していくのか――非常に楽しみです。