アウシュヴィッツ強制収容所では、囚人画家たちが過酷な実態を極秘に描き続けていた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2311)】
タカサゴユリ(写真1~4)、フヨウ(写真5、6)、ムクゲ(写真7~10)が咲いています。
閑話休題、『アウシュヴィッツの画家の部屋』(大内田わこ著、東銀座出版社)を読んで、驚いたことが、3つあります。
驚きの第1は、アウシュヴィッツ強制収容所内に、収容されていたポーランド人画家たちが作業する「画家の部屋」が存在していたこと。
驚きの第2は、囚人画家たちがSS(ナチス親衛隊)の命令する作業に従事する一方で、収容所内の過酷な実態を外部に伝えようと、命懸けで極秘に絵を描き続けたこと。
驚きの第3は、SSの厳しい監視の目を免れた囚人画家たちの絵が、今日に伝えられていること。
「粗末なわら半紙に鉛筆で描かれたスケッチ。過酷な労働にあえぐ収容者の姿や地べたに座っての食事、亡霊のような人々が林立する全員点呼、仲間に運ばれるやつれ果てた収容者、情け容赦なくリンチを加えるSS。そこには、今から75年以上前に、この収容所で繰り広げられていた惨劇の様が、息をのむほど生々しく描きだされていた」。
「1947年にビルケナウ(第2収容所)の焼却炉のあたりから見つかったというスケッチブックもオリジナル版が公開された。作者不詳。MMのイニシャルのついた22枚の小さな鉛筆画とチョーク画は、地中に埋められたビンの中から出てきたもので、アウシュヴィッツで行われていたショアー(ユダヤ人大虐殺)を証言していた。移送列車がアウシュヴィッツに到着して以後、ユダヤ人が辿らされた『死』に至る2つの『道』のスケッチだ。1つはナチスの選別で即ガス室へ送られ殺された『道』。もう1つは、たとえその選別を生き抜いたとしても、ユダヤ人はその後の過酷な労働と飢え、病気、拷問などによって、ガス室へ送られ死に至るというナチズムの狂気の告発であった」。
「身震いするような感動を覚えながら、私は幾度も自分に問いかけた。画家たちはあの地獄のような収容所の中で、これらの沈黙のメッセージを、どのように描いたのだろうか? 『もし私がいなくなっても(殺されても)、私の絵を死なせないで。人々に見せて欲しい』、ふとアウシュヴィッツのガス室で命を絶たれた、ドイツ系ユダヤ人画家フェリックス・ヌスバウムの残した言葉が蘇ってきた」。
収録されているMMのスケッチ6枚に目を凝らしていると、ナチスの理不尽な行動に激しい怒りが込み上げてきました。