榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

後鳥羽上皇の無理押しに対し、生命を賭けた選択をした北条義時・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2391)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年11月3日号】月23日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2391)

オナガガモの雄(写真1~3)が羽繕いしています。マガモの雄(写真4)、オオバン(写真5)をカメラに収めました。女房も私も、固くて歯応えのあるジロウガキ(次郎柿)が大好きです。因みに、本日の歩数は14,089でした。

閑話休題、『小説集 北条義時』(海音寺潮五郎他著、作品社)には6作品が収められているが、何と言っても興味深いのは、永井路子の『執念の家譜』と『承久の嵐――北条義時の場合』です。

●執念の家譜――
源頼朝没後、北条氏と覇を競った三浦氏の歴史が、三浦一族の棟梁・三浦義村の次男・三浦光村にスポットライトを当てて描かれています。

驚いたのは、光村が駒若丸と呼ばれていた少年時代、後に叔父・源実朝を暗殺する公暁の寵童だったと書かれていることです。「実をいえば駒若の背後には、その父三浦義村があった。義村は公暁の乳母夫で、ひそかにこの(実朝暗殺)計画を援助していたのである。暗殺が成功すれば彼は公暁をかついで一挙に幕府の覇権を握るべくたち上がるつもりだったのだ。が、公暁が実朝だけは斬ったものの執権北条義時を討ちもらしたと知ると、にわかに義村は変節した。そうとはしらず、三浦を頼って来ようとしている公暁にすぐさま討手をさしむけ惨殺しようとしたのである」。

「彼(義村)は最後の賭に敗れたのである。義時の時代、こらえにこらえて、(義時の息子)若輩泰時のときにこそ、と思っていたのが、いざ立ちむかってみると、泰時のほうがさらに大狸だった。裏切りに裏切りを重ね、ただ北条氏打倒の執念のために生きつづけた義村が、まぎれもないわが子(泰村)の裏切りによってその意図を挫折させねばならなかったのは皮肉といえば皮肉なことだった」。

●承久の嵐――
「(後鳥羽上皇の強引な申し入れに対し)彼(義時)は筋を通した。歴史の動きを見誤まらず、一つの、しかし多分に危機を伴うかもしれぬ決定を敢えてした。政治とはそういうものではないだろうか。・・・単なる妥協は決して政治ではない。その方が当事者の保身に有利だというだけでなされた妥協であれば、なおさらである、政治とは最終的に選択ではないのか。それも生命を賭けた選択ではないのか。義時がここで西国のトップ(後鳥羽)と取引きせず、御家人の利益をまず前提に考えたところに、私は東国そのものとぴったり密着した彼の姿勢を感じる。ふつう権力を握れば、たちまちそれを支える階層からは遊離してしまうものだが、義時が東国武士団の利益を直接吸いあげることができたところに、彼のすぐれた政治的資質がある。もちろんこれは個人の資質だけの問題ではない。旗揚げから三十年、内部に諸問題を抱えてはいるものの、東国はまだ若い。生命力も溢れているし、自壊作用も起してはいない。その若さが、組織のトップに健康な判断を下させた、ということであろう。東国の若さを、未熟さと見たところに後鳥羽をはじめ西国側の誤算があった。実朝の死につけこんで、ひとゆすぶりすればどうにでもなると思いこんでいたところに、東国に対する認識不足があったのではないか」。永井の深い分析に脱帽です。

承久の乱が起こった時の、北条政子の御家人たちへの「頼朝の恩を忘れるな」という檄はよく知られているが、「正直のところ私は、彼女は『宣戦の詔勅』を読んだにすぎないと思っている。原案の起草者は、多分大江広元あたりであろう。が、これをほかならぬ政子の言葉として言い渡し、人々が納得したというところに、母后的な彼女の役割を見ることができる。と、同時に権威と権力の関わりあいや、それぞれの任務の分担がはっきりわかる。こうした宣言は、権力側のすることではない。権威の象徴たる将軍またはその後見役たる政子の役なのだ。この場合彼女は、北条義時の姉としてではなく、故頼朝夫人――頼朝の代理人としてものを言っているのである」。

鎌倉時代の切迫した、荒々しい息吹が間近に感じられる作品です。