呉智英特有の辛口評論は、七味唐辛子より強烈だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2414)】
ラクウショウ(写真1、2)、イチョウ(写真3)、イロハモミジ(写真4~11)の黄葉、紅葉,そして落葉を堪能しました。そんな中、イロハモミジ(写真12)の緑色の葉に目が留まりました。
閑話休題、『バカに唾をかけろ』(呉智英著、小学館新書)は、時評コラム集です。呉智英特有の辛口評論は、本書でも健在です。
例えば、こんなふうです。
「思考力を身につけるには公的な義務教育では足りず、高額な授業料を払って名門私立校に行かなければならない時代であることをも意味する。これができるのは、知的な富裕層であり、しかも世代間継承によって、階層が固定する。思考力ある支配層の固定化、古典的な階級社会とは違う階級社会が出現しつつある」。これは、由々しきことです。
「フランス革命による人権宣言より60年以上も前に死んだ思想家、それも東洋の日本の思想家である荻生徂徠から、基本的人権の観念を導き出せるか否かを問うのは、徂徠はテレビを見たのか否か、と問いつめるのと同じぐらい馬鹿げたことである」。ここで槍玉に上げられているのは、江戸思想史研究者の尾藤正英です。
「カミュの作風は『不条理の文学』と呼ばれる。しかし、普段はまず使わない『不条理』という言葉で象徴されることによって、特に日本ではカミュは歪んだ読まれ方をするようになった。カミュの代表作として挙げられるのは、『ペスト』より5年前の『異邦人』であり、主人公ムルソーの異常な言動、すなわち『不条理』な人物による『不条理』な殺人を描いた衝撃作である。これを異常な犯罪による既成秩序の破壊と読む傾向がしばしば見受けられた。・・・こういう誤読が起きるのは、まず『不条理』という訳語が原因である。原語はフランス語でabsurde、英語ならabsurd,綴字と発音は少し違うが、意味は同じで『ばかばかしい』『不合理な』である。語源もab(全く)surde(愚かな)である。だからといって出版社にしろ翻訳者にしろカミュ文学を『ばかばかしい文学』とするわけにもいかない。『不合理の文学』でも意を尽くせない。そこで『不合理』と同義であまり使われていない『不条理』を訳語にしたわけだ。カミュが不条理・不合理を描くのは、西洋に一貫して流れるキリスト教的思想を否定するためだ。この世は神の定めた『合理』に貫かれており、人間もまた『合理』に生きる、とする思想である。しかし、ペストの病禍にしろムルソーの凶行にしろ、『不合理』そのものだ。世界の本隊はそのようにある。だが、人間は神に罰せられるギリシャ神話のシジフォスのように、絶望的な努力を喜びをもって繰り返す。『ペスト』の医師リウーもまた一人のシジフォスである。カミュを誤読しないためにもコロナ禍の下『ペスト』を読むべし」。おかげで、これまで引っかかりを感じてきた「不条理」の正体が見えてきました。