榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

大伴旅人は、列子の享楽主義と反礼教主義という生き方に憧れた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2444)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年12月26日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2444)

ジョウビタキの雌(写真1~3)、メジロ(写真4、5)、シジュウカラの雌(写真6)、ムクドリ(写真7)をカメラに収めました。

閑話休題、講演集『大和の古代文化』(奈良県立万葉文化館編、新典社)に収められている上野誠の講演「大伴旅人、讃酒歌遡源――『列子』の思想から」では、興味深いことが述べられています。

大伴旅人の讃酒歌13首のうちの1首、<この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ 生ける者(ひと) 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間(ま)は 楽しくをあらな>を、上野は、「この世でね 楽しく生きたらね・・・ あの世では 虫になっても鳥になっても 俺はかまわんさ 踊らにゃそんそん 生きとし生ける者は―― ついには死を迎える ならばならば この世にいる間は・・・ 楽しく生きなきゃー ソン!」と解釈しています。「人の命が有限なることを自覚した上で人生を楽しむことを第一に考える考え方(享楽主義)と、礼教が人を縛るものであるならば、その礼教に対して、反発することによって、縛りを解こうとする考え方(反礼教主義)の2つが、讃酒歌には見受けられるのである。それは、大伴旅人の思惟であるとともに、当時の中華文明圏を中心とする東アジアの知の潮流の一つであった」。

「『列子』は、中国古典のなかでも、死生について、きわめて具体的に論述している書物である。・・・小林(勝人)は、列子を『中国古代最初の理論的死生観を提唱した特色ある思想家なのである』と評価をしている。では、『列子』の説く死生観とは、具体的にどのようなものであろうか。それは、死も生も『自ずから』あるものという思想である。・・・結局のところ、齢のことなど人智の及ぶところではないのだ、と。これが、『列子』の寿命に対する考え方である。・・・人の命など、生きてたかだか百年。そのうち、幼少期と老年期が半分。眠っている時間と、目覚めていても無駄な時間、さらには、痛みと悲しみの時間を差し引くと、幾ばくの時間すらも残らない。わずかな時間を楽しむといったところで、うまくゆかないのが常である。ところが、人間という生き物は、名声や死後の栄誉のために小心翼々として生きている。それがため、束の間の楽しみすらも逃してしまうありさまだ。ところが、大昔の人は偉いもので、名利などには目もくれず、生を楽しんでいた、と述べている。『生の暫く来るを知り、死の暫く往くを知る。故に心に従って動き、自然に違わず。好む所の当生の娯し』みを知る人が、最高の人だと述べているのである。以上が、筆者が読み取った『列子』の死生観である」。

無常観を前提とした享楽主義と反礼教主義という列子の生き方に対する憧憬の念が、讃酒歌には満ち溢れているというのです。

本書のおかげで、列子の死生観を知ることができました。列子や大伴旅人のように私も生きたいものだと、しみじみと思いました。