映画『舞踏会の手帖』と、「私」の「舞踏会の手帖」的な体験が絶妙に響き合う中で、人生とは何か、死とは何かを考えさせる短篇・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2481)】
キセキレイ(写真1~4)、ルリビタキの雌(写真5、6)、ジョウビタキの雌(写真7~9)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は14,655でした。
閑話休題、閑話休題、『教えたくなる名短篇』(北村薫・宮部みゆき編、ちくま文庫)に収められている『舞踏会の手帖』によって、長谷川修という作家を初めて知りました。北村薫と宮部みゆきのおかげで、未知の素晴らしい書き手に出会うことができました。
「平賀は突然喀血し、学校を休学して郷里の方で療養することになった。彼がいなくなってひとりで映画を観るのが、私にはとてもつまらなくなったような気がしていたが、そのうちデュヴィヴィエの作品で最も評判の高い『舞踏会の手帖』が、私たちの始終通っていた小劇場で再上映されることになった。早速平賀にそのことを報らせてやると、彼からすぐ折り返し返事が来て、その映画はぜひ俺の分まで精しく観て、冬休みにはこちらに立寄り、一部始終を逐一話してくれないか、それを最大の楽しみに、今からその日を指折り数えて待っている、と云って来た。文面には、彼のこの映画に対する執着と、病床に臥す身の淋しさがにじみ出ていて、私はすぐさま委細承知の返事を送ってやった」。
「その『舞踏会の手帖』が遂にやって来た。十二月に入ったばかりの寒い日のことだったが、私は午後の授業をサボって観に行った。ところが観ているうちに、すっかり感激してしまい、午後から座席に坐ったまま、結局最終回まで三度ほどぶっ続けに観て、木枯しの吹く夜道を感動に震えながら戻って来た」。
「私はデュヴィヴィエの作品にはすぐ反撥する筈なのに、この映画には何ともひどく感嘆してしまった。そこで翌日は私は学校を休んで、朝からまたその小劇場に出向き、昼食も夕食も摂らずに、ぶっ通してそれを観た。おまけに次の日も、その日はちょうど土曜日だったが、午後から出掛けて同じ映画を観、翌日の日曜日も、また飽きもせず観に行って、結局四日続けてこの映画を前後十三回ほど観た。一つ映画をそれくらい観ると、全篇のどんな細かい部分でも、まず克明に頭の中に這入ってしまう。そうして私は冬休みに入るとすぐ、平賀の家へ出向いて行ったのだ」。
「――翌年の二月、ちょうど試験の最中に、彼の死の報らせを受けた。・・・試験が終ってすぐ彼の家に駆けつけてみると、彼の母親フランソワーズ・ロゼエは、みずから僧衣を着込み、息子の遺骨の前でお経をあげていた。『あなたが昨年の暮にいらして下さったこと、よっぽど嬉しかったのでしょうね。あれから何度も何度もあなたのことを云っては、あれほど楽しい思いをしたことは、母さん、これまでになかったよ。あいつに、心から楽しい思いをさせて貰って本当に有難う、と伝えといてね、と云って・・・』。彼女はそこまで云って嗚咽した」。『舞踏会の手帖』に母親役で出演している女優フランソワーズ・ロゼエに平賀の母が似ているというのです。
「私がいま思い浮べている人たちは、それぞれ死につながりのある連中ばかりだ。死の音楽。いま私の頭の中に鳴っている旋律は、どうやら死をテーマにした音楽のようである。そして私が旧知を一人一人訪ねて行くというより、何だか死神の方が向うから訪ねて来る、といった感じなのである」。
「人間各個人の一生を、ある基準の軸線に沿って積分してみるなら、その答が常に0になる。人の一生というのは、その人が死んだとき、彼の現世に於ける全軌跡の積分値が、もともと0になるようになっているのではないか。・・・映画『舞踏会の手帖』の物語は、(女主人公の)クリスチーヌが夫君に急死されて未亡人になったところから始まるが、彼女の夫君は誰かに宛てて手紙を書きかけている途中で急死しており、その手紙は、『人生とは・・・』と書いたところで終っている。人生とは・・・」。私事に亘るが、『舞踏会の手帖』は私の大好きな映画の一つです。久しぶりに、またDVDを見たくなってしまいました。
映画『舞踏会の手帖』と、「私」の「舞踏会の手帖」的な体験が絶妙に響き合う中で、人生とは何か、死とは何かを考えさせるという、練達の書き手の手腕が遺憾なく発揮されている作品です。