メソポタミア文明を支えた謎の海洋王国ディルムンとは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2537)】
ヤエベニシダレ(写真1~3)、ヨウコウ(写真4)、ベニバスモモ(写真5~7)、モクレン(シモクレン。写真8~13)、ユキヤナギ(写真14)が咲いています。我が家の庭の片隅では、タチツボスミレ(写真15)が咲いています。
閑話休題、『謎の海洋王国ディルムン――メソポタミア文明を支えた交易国家の勃興と崩壊』(安倍雅史著、中公選書)には、知的好奇心を激しく掻き立てられました。
浅学にして、私はディルムンという海洋王国が存在したことを知りませんでした。その王国の人々はどこからやって来たのか、ディルムン王国はどうして栄えることができたのか、そして、突如、歴史の表舞台から消えたのはなぜか――が、本書で明らかにされています。
「バハレーンは中東のペルシア湾に浮かぶ、東京23区と神奈川県の川崎市をあわせた程度の小さな島国である。・・・(バハレーンに多数の)古墳が造られたのは、今から4000年前、バハレーンがディルムンと呼ばれた時代であった。ディルムンは、メソポタミア文明の文献史料に登場するメソポタミア周辺にあった王国の一つである。・・・文明揺籃の地である南メソポタミアは、年間降水量が200ミリにも満たない乾燥地であり、ユーフラテス河とティグリス河が運んだ大量の泥が堆積してできた巨大な沖積平野である。そのため、金属(金、銀、銅、錫など)や貴石(ラピスラズリや紅玉髄など)、良質な木材といった文明生活を営むうえで必要不可欠な資源が存在せず、これらの資源をイランやアナトリア(現在のトルコ)などの周辺地域から獲得する必要があった」。
「ここで活躍したのが、海洋の王国ディルムンであった。この王国は、前2000年から前1700年にかけて、南メソポタミアとオマーン半島、そしてインダス地域を結ぶペルシア湾の海上交易を独占し、繁栄をきわめた。南メソポタミアには、ディルムンの商人の手によって、オマーン半島の銅、インダス地域の砂金や象牙、紅玉髄、紫檀や黒檀、アフガニスタンのラピスラズリや錫、ディルムンで採れる真珠や珊瑚、鼈甲など、大量の物資が運び込まれていた。いわばメソポタミア文明を物流の面から支え、この文明の生命線を握っていたのがディルムンであった」。
ディルムンの起源――。「ディルムンの起源が、メソポタミアの西方に広がる西アジア内陸砂漠北部に暮らしていたアモリ系遊牧民にあることをつきとめた」。
ディルムンの崩壊――。「ディルムン文明崩壊の原因に関しては、さまざまな仮説が提唱されている。そのなかでもとくに有力な仮説が、『キプロス島台頭仮説』である。・・・ハンムラビによるメソポタミアの統一が、銅の産地キプロスにつながる新たな交易ルートを生み出したため、それ以降、キプロスから南メソポタミアへの銅の流入がディルムンの経済を圧迫するようになり、最終的に前1700年ごろにディルムン文明の崩壊を招いたとする説である」。