マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』の主人公と、カフカの『変身』の主人公は、同じ名だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2552)】
サクラの園芸品種・ウコン(写真1~4)、ヴィバーナム・ティヌス(トキワガマズミ。写真5、6)、グレヴィレアの‘プーリング・クウィーン’(写真7)、ナガミヒナゲシ(写真8)が咲いています。エンドウの‘ツタンカーメンのエンドウ豆’(写真9~12)が花と実を付けています。エンドウの‘つるなしスナップエンドウ’が実を付けています。
閑話休題、『ドイツ文学の道しるべ――ニーベルンゲンから多和田葉子まで』(畠山寛・吉中俊貴・岡本和子編著、ミネルヴァ書房、シリーズ・世界の文学をひらく)の中の、「カフカも、マゾッホによる文学的影響がたびたび指摘されている」、「『毛皮を着たヴィーナス』の主人公ゼヴェリーンは(ワンダという美しい未亡人から)奴隷としてグレゴールという名前を与えられるが、これはカフカの小説『変身』(フランツ・カフカ著、高橋義孝訳、新潮文庫)の主人公と同名である」という記載には驚かされました。迂闊にも、こう指摘されるまで、このことに気づかなかったからです。
そこで、書斎の書棚から31年ぶりに『毛皮を着たヴィーナス』(ザッヘル=マゾッホ著、種村季弘訳、河出文庫)を引っ張り出してきました。
「『なれなれしい振舞いは許しません』。彼女(ワンダ)は私の言葉をするどく遮って、『それに、私が呼ぶかベルを鳴らすかしなければ部屋に入ることも許しません。此方から話しかけたのでなければ話しかけることもなりません。いまからお前はもうゼヴェリーンではなくてグレゴールという名です』」と、あるではありませんか。
久しぶりに読み返してみて、マゾヒズムやマゾヒストという用語の源泉となっただけあって、本書はマゾヒズムを理解するのに最適なテクストだと差認識しました。こういう一節を引用するだけで、そのことがお分かりいただけるでしょう。「『何はさて今度こそようやくお前に本気で鞭をくらわせてやらなきゃね。お前が悪いことをしたかどうかは問題じゃない。こうしてやれば、へまをしたり、言うことをきかなかったり、刃向ったりしたら、どういうご褒美が頂けるかが身にしみて分るだろうよ』。そう言うが早いか彼女は野性的なエレガンスの風情をみせて毛皮つきの袖をまくり上げ、私の背中にぴしりと一打ちくれた。私は縮み上った。鞭はメスのように肉に食いこんだのだ。『さあ、味はどうだい?』。彼女が叫んだ。私は物も言えなかった。『お待ち、いまに鞭の雨で犬のようにクンクン泣かせてあげるから』。そう脅やかすと同時に鞭打ちはじめた。鞭はすみやかにまんべんなく、途方もない凶暴さで背中に。腕に、頚にくだり、私は懸命に歯を食いしばって叫び声をこらえた。はては顔面にまで命中し、生温い血潮が頬を流れ下った。彼女はしかし大声で笑いながら鞭をつづけるだけだった」。