榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

胸中の渥美清、種田山頭火と共に四国八十八ケ所巡り・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2554)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年4月15日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2554)

アマリリス(写真1~5)が咲いています。アマリリスを見ると、若い頃、レコードを聴きながら口ずさんだ「恋のアマリリス」の歌(西條八十作詞、服部良一作曲、二葉あき子歌、映画『青い山脈』の主題歌)を懐かしく思い出します。我が家の庭では、クルメツツジ(キリシマツツジ。写真6)が見頃を迎えています。その片隅では、フリージア(写真7)が芳香を漂わせています。

閑話休題、『「寅さん」と、旅と俳句と山頭火――弥次喜多へんろ道中記』(井澤勇治著、芙蓉書房出版)は、「『弥次郎兵衛』こと煩悩だらけの呑兵衛の私と、『喜多八』こと座骨神経痛に痔持ち病弱者のフクショウという、凸凹コンビの『弥次喜多へんろ旅』」の記録です。

凸凹コンビが5年かけて四国八十八ケ所巡りを達成するまでの過程も十分面白いのだが、本書の肝は、彼らが敬愛する渥美清、その渥美が敬愛する種田山頭火に対する熱い思いが、旅の途上のあちこちで噴出する件(くだり)です。

「『だんだん寅に追いつかなくなっちゃったなあ』。晩年、そう語っていたという渥美さん。マンネリを指摘されながらも、『スタッフの生活もあるから』と『寅さん』を演じ続けた。NHKのドキュメンタリー番組で『寅さん』以外の役をやりたくないかと訊かれ、『くたびれちゃう・・・』と答えている。言葉の意味は深い。終生、『寅さん』であることを強いられ、結果として受け入れざるを得なかった渥美さんの諦観」。

「『(尾崎)放哉』のドラマ化が頓挫したあと、『山頭火』を演じることに情熱を傾けた渥美さん。それは、『寅さん』であり続けることに押しつぶされそうな名優『渥美清』の才能を惜しんだ脚本家、早坂暁氏の危機感の表れでもあった。盟友でもある早坂暁氏は、ここ『松山市』の出身。二人でこの地をシナリオ・ハンティングで訪れ、実際にゆかりの人々にも会っている。渥美さんは、山頭火をどう表現するつもりだったのであろうか」。

「風天」の俳号を持つ渥美の句が、凸凹コンビの旅を引き立てています。
<股ぐらに巻き込む布団眠れぬ夜>(風天66歳)
<秋の野犬ぽつんと日暮れて>(風天46歳)
<がばがばと音おそろしき鯉のぼり>(風天68歳)
<お遍路が一列に行く虹の中>(風天66歳)
<やわらかく浴衣着る女(ひと)の微熱かな>(風天64歳)
<汗濡れし乳房覗かせ手渡すラムネ>(風天65歳)
<団扇にてかるく袖打つ仲となり>(風天65歳)

折に触れて引用される山頭火の『四国遍路日記』の一節が、旅に興を添えます。
<清流まで出かけて、肌着や腰巻を洗濯する、顔も手も洗い清めた、いわば旅の禊である、こらえきれなくて一杯ひっかける>。
<高知城観覧、その下でお弁当をひらく、虱をとる、帰宿して一杯、そして一浴、鬚を剃った、ぽかぽか――ぼうぼう。
<早起、すぐ上の四十四番に拝登する。老杉しんしんとして霧がふかい、よいお寺である>。
<ひとのなさけにほごれて旅の疲れが一時に出た、ほろ酔きげんで道後温泉にひたる>。