榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

読書を通じて、自らの老いをどう生き、どう死を迎えるかを考察した書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2741)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年10月18日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2741)

エナガ(写真1)、コサギ(写真2~5)をカメラに収めました。ハンカチノキ(写真6、7)、ハナミズキ(写真11)が実を付けています。モミジバフウ(写真8、9)、ハナミズキ(写真10、11)、ナツツバキ(写真12)が紅葉、イチョウ(写真13)、カツラ(写真14、15)が黄葉しています。カツラは甘い香りを放っています。

閑話休題、『老年の読書』(前田速夫著、新潮選書)は、読書を通じて、自らの老いをどう生き、どう死を迎えるかを考察しています。

とりわけ興味深いのは、風羅坊という生き方を論じた唐木順三の『無用者の系譜』です。「『身を用なき者に思ひなして』都下りをした、『頽廃において美しく、無頼において倫理的』な在原業平に始まって、市聖空也、遊行の捨聖一遍、捨てに捨て身心脱落した道元、そして、西行、宗祇らとともに、芭蕉を論ずるにあたって、兼好が推奨した『一言芳談抄』(中世の念仏者たちの言行をまとめた聞き書き集)をひもときながら、『ひじりはわろきがよきなり』『居所に心にかなはぬはよき事なり』『ただ何事も、要にたたぬ身に成たらん、大要の事なり』『身はいやしくて、心はたかくありなん』等々と、世の常識と対峙した聖たちの皮肉で逆説的な言葉に、芭蕉につながるものを数多く発見したと述べる。・・・風に破れやすい薄衣をまとった風羅坊芭蕉。彼は生活(仕官懸命)や精神(仏籬祖室の扉)の安定からはほど遠い剣呑な人物で、風雅に惹かれ、風狂の心のままに。旅の境涯に生きたのであった。唐木順三の言う、無用者の究極の姿であろう。『旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る』は、臨終句ではないが、病中で芭蕉が詠んだ最後の句として、よく知られている。享年五十一」。

「ああ、懐旧」と題して、幼年時代の記憶を取り戻すきっかけを与えてくれる5冊が挙げられています。
●『銀ヤンマ、匂いガラス』(松山巌著)
●『駄菓子屋図鑑』(奥成達文、ながたはるみ絵)
●『ちゃぶ台の昭和』(小泉和子編)
●『小さい巨像』(朝日ジャーナル編)
●『ショージ君のALWAYS』(東海林さだお著)
これら全部を読みたくなって、『無用者の系譜』とともに、「読みたい本」リストに加えてしまいました。

死という未知なものを真正面から論じた書として、フランスの哲学者ウラジーミル・ジャンケレヴィッチッチの『死』が取り上げられています。「私が目にとめた考察を、抜き書きする。<自己の死は、けっして訪れない未来だ。さらに言うなら、死という未来は到来するが、けっして現在となることがない>。<悲しいかな! 死んでゆく者は一人で死に、各人、自分自身で死なねばならぬこの個人的な死に一人で対決する。だれもわれわれのかわりにおこなうことはできず、各人、時が来たら、自分で単独に運ぶことになっている孤独の歩みを一人でなしとげるのだ。しかもまた、だれもむこう岸で待ってはいない。夜の入口には、だれもわれわれを迎えに来ないことだろう>」。