榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

無用者――在原業平、一遍、芭蕉――の系譜を辿る・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2767)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年11月13日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2767)

イロハモミジ(写真1、2)、モミジバフウ(写真3、4)、ニシキギ(写真5)が紅葉、イチョウ(写真6~8)が黄葉しています。我が家の庭では、キク(写真13)、ガザニア‘ガズー’(写真14)が咲いています。

閑話休題、『詩とデカダンス・無用者の系譜』(唐木順三著、中公選書)に収められている『無用者の系譜』では、無用者――在原業平、一遍、宗祇、西山宗因、芭蕉――の系譜が辿られています。

「業平像の根柢をなすものは、『身をえう(=用)なきものに思ひなして』の一点にあると私は考えている」。

「一遍の根本はまさにこの『捨てる』こと、それを徹底的に行ふことであった」。

「わびつくしたるわびびとの世界が、さびの世界、風狂、風流、風雅の、風の世界であつた。・・・わびをもわびつくして、さびの世界、『いづ方へなりとも風にまかせ申すべし』と言つた自在の世界へ芭蕉はでていった。一笠一杖の旅を、『旅の栄華ともいはん』といふやうなところへいつたのである。『無心所着の場に遊び給へ』といふやうな、良寛を彷彿させるやうな言葉も吐いてゐる。芭蕉が最後に到り着いたところはさういふ世界であつた。西行、雪舟、宗祇、利休は、ここでは単に歴史上の先達ではなく、さびの世界に席を共にする仲間である。歴史の協同態世界で芭蕉は彼等と庵を並べて住んだのである。芭蕉にとつての現実とは反つてさういふ世界であつたといつてよい」。