榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

加藤周一の短文に学ぼうという文章術の本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2779)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年11月25日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2779)

ダイサギ(写真1)、オオバン(写真2)、キジバト(写真3)、ツチイナゴ(写真4)、モンキチョウ(写真5)、ハボタン(写真6)、パンパスグラス(シロガネヨシ。写真7、8)をカメラに収めました。我が家の餌台「カラの斜塔」にスズメ(写真12)が。因みに、本日の歩数は11,081でした。

閑話休題、『書く力――加藤周一の名文に学ぶ』(鷲巣力著、集英社新書)は、加藤周一の短文に学ぼうという文章術の本です。

基礎編では、「文は短く」することが、最も簡潔で、最も有効な方法とされています。「一文を短くすれば、おのずと複雑な表現にはならない。読む人にも頭に入りやすい文章になる。しかし、短い文章ゆえに端折りすぎて、話の筋を飛躍させないように注意を払わないといけない」。

実践篇では、「論点は三点に絞る」ことが強調されています。「書くということは、書く対象の特徴に着目することである。それを読む人に伝えるには、簡単にいうのが望ましい。・・・三つにまとめれば、少なからず多からず、読む人は理解しやすい」。

「大局観と細部への眼」の必要性にも言及されています。「ある事象や人物について書くときは、その事象や人物についての全体像を把握したうえで書かなければならない。全体像の表現はときに抽象的になる。一方、些細な事柄や人物の言動に、その事象や人物の本質が表われることがある。ところが、些細で具体的な事柄や言動はたまたまの現象にすぎないこともある。大局観と細部への眼が、ふたつながらに必要な所以である」。

「否定による肯定」は、まさに実践的なアドヴァイスです。「文章を書くということは、事象や人物に何かが特徴的に『ある』ことを明らかにするものである。しかしその事象や人物に特定の性向が『ない』ことを発見し、そのことを著すことがある。とりわけ人物の行為の場合、何かが『ない』ことは、その人物の意思の表われであり、その人物の人となりを表わすものである。その『不作為』の発見によって新たな理解に導かれる」。加藤の<石川淳、号は夷斎、一八九九年浅草の生れ。江戸児の気風があって、生涯官に仕えず、役職に就かず、市井に酒を酌んで歯切れのよい毒舌の実に爽かな人でした>という文章が引かれ、「石川淳の弔辞を述べて、その『あった』業績について述べるのではなく、真っ先に『生涯官に仕えず、役職に就かず』という不作為について述べるのは、石川淳の意識的な『不作為』を評価するからである。権威に従わず、独立自尊を貫く姿勢を敬したのである」と説明されています。

私が個人的に勇気を与えられたのは、応用編の、「『引用』とは『読み』である。その本のどこに感銘を受けたかを明らかにするものだが、同時にそれは、その本をいかに読んだかの証拠ともなる。しがって、引用は読みの証拠となる」という件(くだり)です。