松本清張の江戸川乱歩追い落とし戦略とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2784)】
イチョウ(写真1、2)が黄葉、ドウダンツツジ(写真2)が紅葉しています。フサザキズイセン(写真3)、バラ(写真4~8)、キク(写真9~14)が咲いています。庭師(女房)が、我が家にやって来たキマダラカメムシ(写真15)を見つけました。
閑話休題、『昭和史講義(戦後文化篇<上>)』(筒井清忠編、ちくま新書)で、とりわけ興味深いのは、「社会派ミステリー ――松本清張・水上勉」(藤井淑禎執筆)の章です。
昭和30年代の推理小説界は松本清張の独壇場となるが、「それは必ずしも自然な流れとしてそうなったのではない。そこには、清張の周到な計算と企みがあったのである。・・・(『推理小説時代』という論文で)清張は推理小説ブームを分析しつつ、児戯的なトリックを信奉するいわゆる本格派中心の『今の推理小説』では、多くの読者の支持は得られないだろうと指摘している。そのうえで、それらの作品中での名探偵の現実離れした行動を批判して。『<何という神の如き明智であろう>式の表現で、本職の警官や衆愚を尻目に、ひとりで超人的な活躍をする。読者は、この探偵に作者のロボットを感じるが、人間を感じることができない』とまで言っている。・・・清張はここで本格派のトリックや名探偵の活躍を児戯的として一蹴して、その代表に(江戸川)乱歩を据える、という手の込んだ論理展開を試みていたことになる。乱歩を本格派の領袖と極め付けてその非現実性をおとしめ、その対極に、動機・社会性・人間描写に力点を置いた社会派(もちろんリーダーは清張自身だ)を位置づけ、みずからの勢力拡大をはかるという戦略的な作戦を展開したのだ」。
「清張の推理小説論中ではもっとも知られている『推理小説独言』では、有名な、『探偵小説を<お化屋敷>の掛小屋からリアリズムの外に出したかったのである』とのマニフェストが鮮烈な印象を与える。前掲の『推理小説時代』からすでに三年が経過しており、その売れっ子ぶりはもはや不動のものであり、それに裏打ちされた一種の自信が表現をエスカレートさせ、乱歩についても、児戯的なトリックに加えて、ある時期から通俗ものに走り、『氏の輝かしい生命はその時に終った』と容赦はない」。
「こうした清張の一連の戦略的な発言以降、児戯的なトリックを弄ぶ乱歩に代表される『本格派』に対して、人間と社会を描く社会派、という見方が定着したことはまちがいない。その意味では、本格派と乱歩を蹴落とし、推理小説界のヘゲモニーを握ろうとする清張の野心を、これら一連の評論活動の中に見ることも可能なのである」。
清張の本格派と乱歩追い落とし戦略は、彼の作品同様、よく練られた野心的なものであったことに驚かされます。