私のような年代の者には懐かしさが込み上げてくるエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3158)】
サザンカ(写真1、2)、ウキツリボク(アブチロン。写真3)が咲いています。イチョウ(写真4)が黄葉しています。カキ(写真5)、ユズ(写真6)、トウガラシの変種のヤツブサ(写真7、8)が実を付けています。
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閑話休題、老婆のエッセイ集『続続続続 老婆は一日にして成らず(さよなら篇)』(長縄えい子著、たけしま出版)を読むと、私のような年代の者には懐かしさが込み上げてきます。
「私は今、『朝日新聞』に連載されていた『サザエさん』を読んでいる。私は自分の子ども時代を重ねあわせて思った。もう少し、昔に戻って見ませんか? 蠅タタキ、御鉢、下駄ばき、消し炭、長火鉢、ズロース、障子張り、こう薬 まだまだ、ある。今の若い人は、この物たちをどのくらい分るかな。私が昔を感じた言葉は、昨年のラグビーのとき聞いた『ワンチーム』だった。家族団らんを感じたからだ」。
「この歌は、歳をとっていく情感が、ロマンチックさを伴っていて、敬老の日にはうってつけだろう。『カチューシャ』の歌詞は、『カチューシャかわいや 別れのつらさ』で始まる。青春を思い出して、歳をとっていく楽しさを唄おう。歌はいくつになっても、心のうちを唄うことができるのだから」。
「私が子どもの頃は、うちの人たちが入れ替わり立ち代りよく話してくれた。私は祖母の横でお話を聞きながら寝た。祖母は落語の人情話がおはこで、幼い私でさえ『芝浜』の革財布という話の筋書きをすっかり憶えてしまった。夫を出世させる夫婦愛の話を、五才そこそこの子どもが、それからそれからと合いの手を入れながら聞いていたわけである。父は夕食の後、縁側でうちわを使いながら、曲垣平九郎の講釈を語ってくれた。馬が階段を駆け上がるクライマックスのくだりになると、おでこに縦じわが二本寄った。うちわは講釈師のもっているせんすになる。うちわがこわれるからおよしなさいよ。母の文句なんて耳に入らない。母は母で、台所仕事の暇が出来ると、ちゃぶ台にほおづえをつきながら少女時代の話を細にわたって話してくれた。・・・うちの人たちはみんながみんな、子どもに話を聞かせて、自分たちで楽しんでいたような気がしてならない。祖父母たちの出番がまだまだあった頃の話である」。