榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

貧困の連鎖の本質に迫るエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2792)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年12月8日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2792)

東京・中央の聖路加国際病院(写真1~6)から銀座(写真7~16)へと、そぞろ歩きしました。今宵は、満月と火星が接近しています(写真17、18)。因みに、本日の歩数は14,429でした。

閑話休題、『死にそうだけど生きてます』(ヒオカ著、CCCメディアハウス)は、地方の貧困家庭で育った著者がライターとして活躍するに至った顛末を綴った本音満載のエッセイ集です。

「塾に行けないのは悔しかった。それならそれで、あがけるところまであがきたい。私が勉強にここまで燃えたのには理由がある。一つは、ある本との出会いだった。極度の貧困家庭から難関大に現役合格した人の体験記だ。著者は私よりも貧しいのではないかという環境にいながら、戦略的に一日十六時間勉強し、独学で現役合格を果たした。・・・その物語に心揺さぶられ、私も難関大に合格できるかもしれない、という希望が持てた。目標の立てかたをまねして、イメージトレーニングを重ねた。振り返ればこの強烈なロールモデルとの出会いは、私の受験生活の大きく強固な支えになった。そして二つ目は、市立図書館でたくさんの情報誌に触れたことだった。雑誌のコーナーには、受験の情報誌をはじめ、多くの資料があり、最新号からバックナンバーまで自由に読むことができた。そこで、受験の体験記を読み、様々な事例を知ることができた」。

「目標を持ち、勉強にのめり込む日々のなかでも、現実に引き戻されることはあった。定期テストが間近に迫った追い込みの期間でも、父の怒鳴り声が止まなかったのだ。・・・気が狂いそうだった。でも、そんな時も、『大学に行って、地元を出る。広い世界に行く』――その思いが、崩れ落ちそうな私の足場を、点で支えていた」。

「多くの人の視界には、貧困の沼から抜け出せない人たちが入ってさえこない。『無いもの』にされている。その事実を、嫌というほどに、思い知らされた。切迫感に背中を押された。やっと書きはじめた。三日間かけて、朝も昼も夜も、ひたすら書きまくった。こんなに真剣に文章を書いたことはなかった。とにかく必死だった。私が書いた文章のタイトルは、『私が<普通>と違った50のこと――貧困とは選択肢が持てないということ』だ。幼少期の生活、進学するにつれて気づいた周囲との違い、そこで感じたことを綴り、noteで公開した」。

「一人暮らしをはじめて、私ははじめて、自分だけの居場所を手に入れた。とはいえ、二〇二二年七月の現在もなお、貧困から抜け出したとは言い難い。今はオフィスワークのアルバイトで生計を立てながらライターをしている。手取りは、フルタイムで働き、十五万円から十七万円といったところだ。ライターとしての収入は平均二万円ほど。最近また、奨学金の減額申請をした。減額申請は当面の返済額を減らしてもらう手続きである。一時的な負担は軽減されるが、その分もちろん完済までの時間が延びる。減額申請などせずストレートで返しても完済するのは四十代。奨学金を完済する頃、私は何歳になっているだろう。そんなわけで、今も少ない手取りで奨学金を返済し、家賃などを払い、相変わらず吹けば飛ぶような生活をしている」。

「『生きるうえで必要な力』全般、たとえば書物を読み解く力、情報収集能力、貯金の仕方などを、親から受け継ぐのである。こうしたものを引き継げないと、社会に出た時、すでに圧倒的な差がついている。努力以前の問題だ。<貯蓄行動や資産形成において親の影響を大きく受けることを鑑みると、経済観念の乏しさこそが貧困の連鎖の結果であり、本質であるといえそうだ>。これは記事のなかの私の言葉だ。よく貧困層は『お金の使いかたが下手』と批判される。生活保護受給者や路上生活者への自己責任論の文脈で使われたり、『貧困=怠惰』という言説の証拠として使われたりする。しかし、その金銭リテラシーこそが、親から受け継ぐものの最たる例なのだ」。

「私たちは貧富の再生産という大きな潮流のなかで生きている。・・・自分の特権(強者性)を自覚することができれば、他者に対する視点は大きく変わってくるはずだ。『自分に備わった特権に無自覚である』ということは、『自分が当たり前に享受している権利を持たない人たちがいるという事実に無自覚である』ということだ。そうした悪気のない無知、あるいは無自覚が、たとえば生活困窮者の状況に対する、怠慢や、努力不足というジャッジに帰結してしまう。強者には見えない弱者、見えないものとされてしまっている弱者は、あなたの周りに本当にいないと言えるだろうか。ほんの少しでもいい。たった五ミリでいい。他者への想像力を及ぼす距離をみんなが伸ばしてみる。その総和が社会を少し優しくするのではないか」。

一見すると、軽いタッチのエッセイ集のようだが、実は、重い内容が詰まった著作であることを思い知らされました。著者の言う弱者だけでなく、強者も、貧困の連鎖について考えるべき時が来ているのです。