榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

世界を股に掛けた著者の痛快な語学エッセイ&青春記・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2864)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年2月18日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2864)

一昨日ヒクイナを初撮影した場所で、幸運にも、再びヒクイナ(写真1~4)に出会うことができました。この辺りを毎日観察している野鳥撮影仲間の小熊さんによれば、本日はヒクイナが3羽出現したとのこと。バン(写真5~8)、ダイサギとコサギ(写真9)、ダイサギ(写真10)、コサギ(写真11)、モズの雄(写真12)、ジョウビタキの雌(写真13、14)をカメラに収めました。

閑話休題、『語学の天才まで1億光年』(高野秀行著、集英社インターナショナル)は、著者の19~29歳のスケールの大きな青春記です。その舞台はインド、アフリカ、ヨーロッパ、南米、東南アジア、中国とヴァラエティに富んでおり、それらの国々の言葉をいかに身に付けたかがユーモアを交えて綴られています。

「私ほど語学において連戦連敗をくり返し、苦しんでいる人間はそうそういないはずだ」。

「私が語学に精を出すのは、アジア・アフリカ・南米などの辺境地帯で未知の巨大生物を探すとか謎の麻薬地帯に潜入するといった、極度に風変りな探検的活動のためだ。この『探検的活動』が意味する範囲は広く、なかにはノンフィクションの取材も含まれるのだが、いずれにしても、目的が達成されるとその言語の学習も修了してしまう。要するに、私にとって言語の学習と使用はあくまで探検的活動の道具なのである」。

アフリカ・コンゴのキンシャサでは――。「フランス語はコミュニケーションのために必要不可欠な言語だったのだ。いっぽう、リンガラ語はどうか。こちらはなにしろフランス語のように熱心に勉強していなかった。辞書もないし、片言しか話せない。だから、『ムボテ(こんにちは)』とか『コンボ・ナ・ヨ・ナニ(君の名前は何?)』『オザリ・モニンガ・ナ・ンガイ(君は僕の友だち)』程度のことを言うだけなのだが、現地の人たちが驚くことと言ったらない。必ず『アッ!』と裏声の悲鳴みたいなものをあげ、『オロバカ・リンガラ?(あんた、リンガラ語を喋るのか?)』と目をひんむいて聞き返すのだ。老若男女問わず、『アッ!』である。・・・フランス語はコミュニケーションに必須だが、意思や情報を伝達するだけだ。いっぽう、リンガラ語での会話はコミュニケーションを十全にとるには程遠いが、地元の人たちと『親しくなれる』のである。コミュニケーションをとるための言語と仲良くなるための言語。外国へ行って現地の人と交わるとき、この二種類の言語が使えれば最強なのだ。いわば『語学の二刀流』、これを使いこなす快感を知ってしまった。私にとって『語学ビッグバン』である」。

アジア・アフリカ語学院という語学学校で――。「私の持論なのだが、語学はスタートダッシュがとても大切だ。自動車のエンジンもエアコンも運転開始にいちばんエネルギーを食うと聞く。語学も同様だ。まるっきり未知の言語体系を自分の心身に刷り込むには、初期の授業(レッスン)の頻度は高いほどいい。・・・せっかく燃料に火がつきかけても、1週間も間が空いたら火が消えてしまう。消えないまでも勢いがつかず、とてももったいない。初期の段階ではどんどん燃料を投入してエンジンをフル回転させるべきだ。できれば3カ月ぐらい。難しければ最初の1カ月でいい。そうすれば、『ロケットスタート』が見込める。そう、アジア・アフリカ語学院の集中講座は、私が熱望していたロケットスタート講座なのだ」。

アジア・アフリカ語学院の王先生の衝撃とは――。「先生は白墨を手にすると、黒板に大きな字で『你好』『謝謝』『再見』と書いた。『またそれか』と私は少々げんなりした。授業は3日目だった。・・・やっぱり語学学校なんかよせばよかったかなと一瞬思ったほどだ。ところがである。先生がそれを読み上げた。『你好(ニーハオ)!』『謝謝(シエシエ)!』『再見(ツァイジェン)!』。体を電気が走り抜けたような気がした。それまでも、そしてそのあと今に至る長い語学遍歴の中でも、瞬時の出来事にこれほどたまげたことはない。『これが本物の中国語なのか!!』。とにかく声がでかい。語気が強い。腹から音を出している。そして、なんというか、屈託や遠慮がない。この3つの単語の発声だけで、壮大な中国大陸が見えるようだ。日本人の先生2人が発する『你好』『謝謝』『再見』とは全く別の言語に聞こえた。私が中国語に魅せられた瞬間であった。・・・『このノリが中国語の肝なんだ』と私は直感した。その直感は見事に当たった。後に中国へ行くと、誰しもそういう口調で喋っていたのだ。いっぽう、中国語を話せる日本人に会うと、不思議なくらい『日本語のノリ』で話す人が多かった。口先でぼそぼそ話すのである。語気が弱くて。語学院の先生同様、たとえ言葉自体はスラスラ出ていてもノリが中国語でないから全然中国語っぽく聞こえないのだ」。

著者の言語学習スタイルは、基本的には20代の頃と変わっていないという。
●誰でもいいからネイティヴに習う
●使う表現から覚える(目的に特化した学習)
●実際に現地で使ってウケる(現地にいるとき即興で習うことも多々あり)
●目的を果たすと、学習を終え、速やかに忘れる(ひじょうに残念であるが)