榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「十牛図(じゅうぎゅうず)」を巡る禅僧・枡野俊明と俳優・松重豊の対談集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2931)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年4月28日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2931)

イワツバメ(写真1~3)、ツバメ(写真4~10)、ムクドリ(写真11)、アゲハチョウ(写真12、13)をカメラに収めました。池を巡る遊歩道上で必死にもがいているオイカワの雄を見つけ、池に戻してやりました(写真14、15)。

閑話休題、『あなたの牛を追いなさい』(枡野俊明・松重豊著、毎日新聞出版)は、「十牛図(じゅうぎゅうず)」を巡る禅僧・枡野俊明と俳優・松重豊の対談集です。

「十牛図」とは、牛を探す童子を描いた10枚の絵です。

その一は、「尋牛(じんぎゅう)――『本当の自分』を探す」です。「牛はどこにいるのだろうか。なんとかして牛を捕まえたい」。

その二は、「見跡(けんせき)――ひと筋の光を見つける」です。「牛を探しに出かけた童子が、道に残された牛の足跡を見つける」。

その三は、「見牛(けんぎゅう)――あるべき自分を見つけ出す」です。「牛の足跡をたどっていくと、木の陰から牛の尻が見える。牛の身体全体は見えないが、たしかに牛の姿をとらえることができた」。

その四は、「得牛(とくぎゅう)――煩悩や迷い、欲望・・・人生は自分自身との闘い」です。「ついに童子は牛の姿を見つけ、牛の首に縄をかけて力ずくで捕まえようとする。ところが牛は暴れて、なかなか捕まえることができない」。

その五は、「牧牛(ぼくぎゅう)――修行に終わりはない。いまだ残る煩悩の種を一つひとつなくしていく」です。「暴れている牛をやっとのことで手なずけられるようになった童子。もうこれで牛を飼いならすことができたと安心する」。

その六は、「騎牛帰家(きぎゅうきか)――自我から解放され、本当の自分を自分のものにする」です。「童子が牛の背中に乗り、笛を吹いている。牛は暴れることもなく歩を進め、やがて童子は自分の家へと帰っていく。牛と童子は一体となり、『悟り』をようやく得られた」。

その七は、「忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)――悟ったことを意識しないところに真の悟りはある」です。「自分の帰る場所に戻った童子は、すっかりくつろいでいる。絵のなかにはもう牛の姿は見えない。童子はやっとの思いで連れ帰ってきた牛のことは、きれいさっぱり忘れ去っている」。

その八は、「人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)――迷いも悟りも超越した時、そこには絶対の真理がある」です。「自分が居るべき場所に牛を連れ帰った童子は、しかしもうそのことすら忘れている。それどころか、自分自身が何者なのかにも心が及ばないようになっている。たどり着いた先、そこは無の世界であった」。

その九は、「返本還源(へんぽんげんげん)――自然は美しくも厳しいが、それをも問題としない」です。「童子の姿も牛の姿も消え、ただ自然の風景だけが描かれている。季節が移り変わり、刻々と自然は変化していく。その変化のなかにこそ、不変の真理というものが表されている」。

その十は、「入鄽垂手(にってんすいしゅ)――真のあるべき姿で、悟りを人々のために役立てる」です。「僧侶の衣をまとい、布袋和尚の姿となった童子。その穏やかで優しい姿のまま、人々が住んでいる街なか――市井――に出ていく」。

●松重=この(十の入鄽垂手の)域に到達できないとしても、ゴールの情景を知っていること、ここを目指して生きていきたいなぁとつくづく思いますね。でも、俗世に生きていて、ここまでたどり着く方っておられるのでしょうか。●枡野=歴史上はいらっしゃいますよ。たとえば、良寛さんなんて、まさに十ですよね。すべて悟り切ったのち、村の子どもと一緒に遊んだり、その日に食べるものだけ村人からいただいて五合庵で質素に暮らしていました。●松重=いいですねぇ。修行というと難しいものだし、悟りを開くなんてほど遠い気がしてしまうけれど、この円のなかに描かれている絵が見せてくれていることだけでも、とてつもなく深い意味がある気がしてきます。

禅の本質を垣間見た気がします。