平治の乱の黒幕は後白河院の第一皇子の二条天皇だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3059)】
徳川光圀が完成させた東京・文京の小石川後楽園は静寂に包まれています。
閑話休題、『平治の乱の謎を解く――頼朝が暴いた「完全犯罪」』(桃崎有一郎著、文春文書)の著者の主張のポイントは3つにまとめることができます。
第1は、源義朝が平治の乱で挙兵したのは利己的な反逆とされてきたが、平治の乱の黒幕は後白河院の第一皇子の二条天皇である。
「二条の意に反する(異母)弟の擁立運動が平治の乱の主因だった」。「皇位に執着する二条」。「王家で孤立して子供じみた独善に走る二条」。
第2は、天皇が父・上皇の御所を義朝に襲撃させたという大スキャンダルは天皇制を揺るがしかねないと、二条の死後、後白河院たちが隠蔽工作を行った。
第3は、平治の乱の当事者の一人である源頼朝が乱の真相を九条兼実に語っている。頼朝は隠蔽工作を認めることを条件に征夷大将軍の称号を勝ち取った。
「源頼朝は、こう語った。『父の(源)義朝は忠義の心で、(二条)天皇の命令通り挙兵したが、天皇の裏切りで反逆扱いされ、殺された』と。二人きりの密室で、摂政の九条兼実は確かにそう聞いた。・・・兼実はこの会談を、日記『玉葉』に書き留めた」。
大局的に見れば、平治の乱の真の勝者は平清盛だと、著者は述べています。「平治の乱が、後白河の勝利に帰した二条との相剋だったことは、日本史全体に対するマクロ的意義としては、実は小さい。最も重要なのは、戦後の残党狩りも含めた乱の全段階で、清盛が決定力を持ったことだ。平治の乱の根本は、鳥羽院・美福門院・後白河院・二条天皇という、我執に取り憑かれた王家の、矮小な家庭内紛争にすぎない。王家はそれを清盛なくして処理できず、皇位継承問題という最重要問題は清盛の動向で決まり・・・日本史上における平治の乱の意義は、『清盛が日本国という国家を支える柱石であり、今後もそうであり続ける』と証明したことにある」。
本書を読んだ後、平治の乱の見方が大きく変わってしまったのは私だけではないでしょう。