誰もが年老いる。だが老人のプロはいない・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3092)】
アキアカネの交尾(写真1)、オオカマキリ(写真2、3)、ハラビロカマキリ(写真4)、コガモの群れ(写真5~8)、ダイサギ(写真9)をカメラに収めました。クレオメ(写真10~14)が咲いています。因みに、本日の歩数は11,571でした。
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閑話休題、エッセイ集『いまだ人生を語らず』(四方田犬彦著、白水社)で、とりわけ印象深いのは、●老年にはなったけど・・・、●読むことについて、●音楽について――の3つです。
●老年にはなったけど・・・
「誰もが年老いる。だが老人のプロはいない。すべての若者が『青春』という言葉に振り回され、わけもわからぬうちにその青春を終えてしまうように、ひょっとして多くの老人は老人であることの意味も充分にわからないままに老年を終えてしまうのではないか。わたしもまたそうなるのではないかという懸念がないわけではない」。
著者は、老年期のプール通いの愉しさに言及しています。「何も考えずにプールの水のなかに軀を浮かべているのは気持ちがよかった。心のなかで長い間に凝り固まってしまったものを水に浸し、ゆっくりと解きほぐしていくには、プールが最適なように思われた」。私は数年前まで、連続で2000m泳ぐことを習慣にしていたが、この件(くだり)を読んで、プール通いを再開したくなってしまいました。
●読むことについて
「書物を読むというのは質の行為であって、量の行為ではない。わたしにとって重要なのは、いくたびも繰り返し読むに値する書物を手にすることだ。緊急の調べごとといった必要からではない。流行や他人の噂に左右されることでもない。自分にとって意味のある書物だけを見つけ出し、それをいくたびとなく手に取って好きなところを読み直し、時間に関係なく気ままに読み耽ること。・・・ヴァレリー・ラルボーは読書のことを『罰せられない悪徳』と呼んだが、まさに的確な表現だと思う」。私は好奇心の赴くままに、さまざまな分野の本を読み散らかしています。
●音楽について
「長い間、午前中はバッハのCDをずっと流しっぱなしにしながら食事をしたり、小さな雑事を片付けたりしていた。六十歳を過ぎたころからそれをヴィヴァルディに切り替えた。バッハには人間を超越したところがあり、人間が世界から消滅したとしてもいささかも動くことのない無限の諧調が世界には存在しているという心理を指し示しているようなところがある。わたしの死後もバッハは何も変わることなく世界に流れ続けるだろう。ヴィヴァルディはまったく違う。そのvivaという音の響きからもたやすくわかるように、生きることの悦びそのものだ。わたしは忘れられていた彼のヴァイオリン曲を発掘し、ムッソリーニの前で演奏してみせたオルガ・ラッジの録音を聴いてみたいと思う。もしそれが今でもどこかに残っていればのことであるが」。私はバッハとヴィヴァルディ双方のCDを聞き続けています。