旧約聖書の「エデンの園」、「バベルの塔」、「ノアの大洪水」には、そういう背景があったのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3277)】
ベニシジミ(写真1)、ヒバリ(写真2~5)、ハクセキレイ(写真6)、ムクドリ(写真7)、ツグミ(写真8)、ヒヨドリ(写真9)をカメラに収めました。我が家の隣の公園では、ソメイヨシノ(写真10~13)が見頃を迎えています。我が家では、チューリップ(写真14、15)が咲いています。
閑話休題、『物語としての旧約聖書――人類史に何をもたらしたのか』(月本昭男著、NHKブックス)のおかげで、旧約聖書の全体像を俯瞰することができました。同時に、各物語の背景を知ることができました。
とりわけ興味深いのは、●エデンの園、●バベルの塔、●ノアの大洪水――の3つの物語です。
●エデンの園
「二人(アダムとエバ)をエデンの園から追放するときに神は、『人間はわれらのひとりのように善と悪を知る者となった』と語っています。人間が神のようになろうとする点に、人間の分をわきまえない高慢を見てとったのです」。
「エデンの園の物語の後半は、『楽園の喪失』と呼ばれるように、神が禁じた『善と悪を知る木』の実を食べた人類最初の男女が園を追放される物語です」。
「このような背景を考慮すると、『善と悪を知る木』の実を食べて『神のようになった』という最初の人類の物語は、暗黙裡に、善悪の判断をはじめとする知恵と知識を独占して、民を治めるエルサレムのダビデ王朝を批判的に照らし出しているのかもしれません」。
●バベルの塔
「(バベルの塔の物語は)神と等しくなろうとする人間の傲慢を見据えました。『頂きが天に届く塔』のある都市の造営に、周辺諸民族を一元的支配のもとに併合し、これを統制しようとする強大国の営みを映し出しました。そこでは、強大国の言語があたかも人類の唯一の言語であるかのような様相を呈していました。じっさい、この物語を伝えた古代イスラエルの民は、そのような強大国の脅威にさらされ続け、紀元前6世紀はじめには、ついに国を失い、半世紀余にわたって、バビロニアで捕囚民の悲哀を味わわされたのです。物語にはそうした歴史体験がふまえられています」。
●ノアの大洪水
「洪水物語の冒頭で、神が『終わりがやって来た』とノアに告げるとき、古代イスラエルの人々は、預言者によって語られたこのような審判到来の言葉を思い起こしたにちがいありません。そして、『人間の悪』によってもたらされる世界の破局が、太古の物語にとどまらず、現代への警告の物語であることを思わされたことでしょう。洪水物語の冒頭部分に、『終わりがやって来た』という神の言葉を付した意図もそこにあったものと思われます」。