吉本隆明の最晩年を間近に見た長女・ハルノ宵子曰く「ボケるのは決して悪くない」・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3307)】
雨の林は静寂に包まれています。キンラン(写真1~3)、ホオノキ(写真4、5)が咲いています。近用と遠用の眼鏡(写真10)を新調しました。レンズはHOYA。フレームはシャルマンだが、エクセレンスチタンは軽くて、バネがしなやかなので、最高の掛け心地です。
閑話休題、正直言って吉本隆明(たかあき)という評論家は私の好みに合わないが、長女・ハルノ宵子が父親をどう見ていたのか気になって、『隆明(りゅうめい)だもの』(ハルノ宵子著、晶文社)を手にしました。
「2000年代前半、父の眼はいよいよ悪くなってきていた。『糖尿性網膜症』だ。・・・父の絶望は深かった。机やキッチンのテーブルで、ぼんやり考え込む日々が続いた」。
「ものすご~く誤解されている方が多いと思うが、モノ書きはおしなべてビンボーで。ことに父のように、エンタテインメントやハウツー本と違い、読者層が限られる分野だと、まず初版は6000部程度だ。仮に1冊2000円の本で印税が10%として、とりあえず120万円が入る。しかし、あれだけのエネルギー値が込められた本だ。どう頑張っても、新刊は、年に2、3冊が限度だろう。その間増刷があったり、以前の著書が文庫化されても、基本年収は数百万円だ。父は大学教授などの、定期収入のある職には就かなかったし、講演も主催者側の『言い値』で引き受けるので、自腹で遠方まで出向いても、5万円とかテレカ1枚の時もあった。こんな『水商売』で、よくぞ家族と猫を食わせてくれたものだと、今さらながら感服する」。
「『才能』は存在する。と言ったら、父は間違いなく否定しただろう。すべては継続と修練によって達成されると。・・・残念ながら、この家の(母以外の)他の誰もそのテの才能を持たないまま仕事を続けてきた。『そんなバカな! 吉本さんに才能が無かったなんて、戦後最大の思想家だぞ!』と、吉本主義者の方はお怒りになるだろうが、もしも父に才能があったとしたら、それは人並みはずれた驚異的な『集中力と継続力』だろう」。
「父だってボケていた――と言うと、あれだけの頭脳と知識を持ち、最後まで常に思考を重ねていた吉本さんが、ボケる訳ないだろう! と、父の全集の主たる読者である、団塊以上のオジ様たちは主張することだろう。・・・父のその兆候は、2000年から始まっていた。・・・2000年代半ば頃になると、いよいよ父の眼は悪くなってきた。テーブルを挟んで目の前にいる人の、男女の区別もつかない。『常に赤黒い夕闇の中にいるようだ』とも言っていた。・・・内科の主治医に、こんな症状がひどいんですよ。と訴えると、『それは<レビー小体型認知症>かもしれませんね。脳のMRIを撮れば分かりますよ』と言われたが、今さらボケに名称つけたとこでもなぁ・・・と、あきらめた。・・・最晩年になると、攻撃性は無くなった。1日のほとんどが眠りがちになったが、思考はむしろ自由に『アチラ側』と行き来しているように思えた。本来の素の『魂』に還っていく感じだ。ボケるのは決して悪くない。不安なオジ様たちだって、きっと青春に帰れますよ。安心してください。皆ボケるんです!」。
団塊世代よりほんの少し年長の私は、「ボケるのは決して悪くない」という著者の言葉を信じることにしました。