武田國男、佐橋滋、豊臣秀吉に学ぶ一流MRの秘密・・・【MRのための読書論(2)】
武田國男の「変革する勇気」
企業のトップ、幹部が武田國男、佐橋滋、豊臣秀吉から学ぶことは多いが、MRもこの3人の生き方から重要なヒントを得ることができる。
『落ちこぼれ タケダを変える』(武田國男著、日本経済新聞社)は、2004年11月に日経新聞に連載された「私の履歴書」に講演原稿、語録などを加えたものだが、これが滅法面白い。本音で綴られた型破り、出色の自伝に仕上がっている。
武田家の三男に生まれながら、長兄が7代目武田長兵衛として武田薬品社長になることが既定路線であったため、家庭でも社内でも窓際族的存在であった著者が、長兄の急逝により、本人の言では「運命のいたずら」で社長に就任する。
窓際時代の著者を特徴づけるのは「反骨魂」であり、その後の著者を貫いているのは「変革する勇気」である。米国の合弁会社TAP時代の抗生物質からニッチ製品である前立腺がん治療薬への路線転換、社長就任後の本業である医薬品事業への特化、「もうける経営」の徹底追求など、眠れる武田薬品を戦闘集団に変えていく過程の周囲の反発、抵抗は並大抵ではなかったことだろう。
危機感をバネに次々と大胆な改革を断行し、ドラマチックに武田薬品を日本有数の高収益企業に変身させた武田國男。現在、担当病院、担当エリアでトップMRと自他共に許す君も、武田に倣って、現状に甘んじることなく、変革する勇気を持って従来の方法を疑い、より合理的な、新しい自分なりの方法を求めて、仕事の進め方を変えてみよう。
異色官僚・佐橋滋の「大局観」
『官僚たちの夏』(城山三郎著、新潮文庫)の主人公・風越信吾は実在の異色の通産(現・経済産業省)官僚・佐橋滋がモデルである。因みに池田勇人は池内信人、佐藤栄作は須藤恵作、田中角栄は田河、三木武夫は九鬼、宮澤喜一は矢沢という名で登場してくる。
日本経済が貿易の自由化から資本の自由化へ進もうとする時、それを巡って政策の方針が二つに分かれる。いわゆる「国際派」(自由化積極派)と、これを外圧と受け止め、迎え撃つ国内体制の強化を第一とする「民族派」(自由化消極派)が対抗した昭和40年前後の通産省が舞台であり、この産業界を外資から守ろうとする民族派の中心人物が佐橋であった。政治家に反対し、あくまでも国益を守ろうとする反骨の士・佐橋とその仲間たち。どちらの方針が正しかったかはさておき、大局観を持ち、使命感、責任感を抱いて仕事を進めていく人間、佐橋が言うところの「全力で生きる人間」とその組織に強い共感を覚えるだろう。
一流のMRも、佐橋らのように、大局観、使命感、責任感を持ち、志を高く掲げ、仕事の完成図を思い浮かべながら、日々のMR活動に取り組んでいる。
この『官僚たちの夏』は経済小説を読む楽しさを教えてくれる。城山三郎の経済小説は粒揃いであるが、MRには、まずこの作品を薦めたい。
豊臣秀吉は「雑事を片づける」名人
『新史 太閤記』(司馬遼太郎著、新潮文庫、上・下巻)は、周知のように豊臣秀吉の出世物語であるが、著者一流の新解釈で秀吉を現代に甦えらせている。織田信長や徳川家康からも多くのことを学ぶことができるが、MRの視点に立てば、秀吉の生き方が一番参考になるだろう。なぜならば信長、家康が生まれながらの戦国大名で多くの家臣(部下)がいたのに対し、秀吉は組織め一番下からスタートした人物だからである。
MRとしては、秀吉が「気配り」の人であり、「雑事を片づける」名人であったことに注目すべきだ。常に壮大なテーマの仕事ばかりしていたと思われがちだが、木下藤吉郎時代の若き秀吉は日常の雑事を片づける名人であり、そのことを大きな仕事に繋げていったのである。
一流MRも、やらねばならない雑事は忘れないようにその場でメモしておき、細切れ時間を活用して片づけている。大きな仕事は雑事というピース(断片)から成り立っているジグソー・パズルのようなものと割り切り、楽しみながら雑事を片づけられるようになればしめたものだ。
歴史小説の面白さを知るには司馬遼太郎の小説が最適であるが、MRにはこの『新史 太閤記』から読み始めてほしい。
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