反知性主義とは、具体的にはどういうものか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(380)】
セイヨウタンポポの種子(綿毛、冠毛)は、よく見ると美しく神秘的です。濃紫色の地に白い線がくっきりと目立つペチニュアの花が咲いています。黄色い花を囲む白い仏炎苞のカラーは凛としています。ヤマボウシの総苞はまだ白くなく、緑がかっています。ナツミカンの白い花が咲いています。ミカンも白い花を付けています。ナツミカン、ミカン、キンカンなどの柑橘類の花はいずれも同じ芳香で私たちを楽しませてくれます。因みに、本日の歩数は10,107でした。
閑話休題、『日本の反知性主義』(内田樹編、晶文社)は、我が国の立憲政治、民主制が危機を迎えている今、反知性主義、反教養主義を考えようというアンソロジーです。「為政者からメディアまで、ビジネスから大学まで、社会の根幹部分に反知性主義・反教養主義が深く食い入っていることは間違いありません。それはどのような歴史的要因によってもたらされたものなのか? 人々が知性の活動を停止させることによって得られる疾病利得があるとすればそれは何なのか? これについてのラディカルな分析には残念ながらまだほとんど手が着けられておりません」。
反知性主義とは、具体的にはどういうものでしょうか。「『反知性主義』という言葉からはその逆のものを想像すればよい。反知性主義者たちはしばしば恐ろしいほどに物知りである。一つのトピックについて、手持ちの合切袋から、自説を喜怒づけるデータやエビデンスや統計数値をいくらでも取り出すことができる。けれども、それをいくら聴かされても、私たちの気持ちはあまり晴れることがないし、解放感を覚えることもない。というのは、この人はあらゆることについて正解をすでに知っているからである。正解をすでに知っている以上、彼らはことの理非の判断を私に委ねる気がない。『あなたが同意しようとしまいと、私の語ることの真理性はいささかも揺るがない』というのが反知性主義者の基本的なマナーである。『あなたの同意が得られないようであれば、もう一度勉強して出直してきます』というようなことは残念ながら反知性主義者は決して言ってくれない。彼らは『理非の判断はすでに済んでいる。あなたに代わって私がもう判断を済ませた。だから、あなたが何を考えようと、それによって私の主張することの真理性には何の影響も及ぼさない』と私たちに告げる。・・・『あなたが何を考えようと、何をどう判断しようと、それは理非の判定に関与しない』ということは、『あなたには生きている理由がない』と言われているに等しいからである」。
反知性主義者の本当の敵とは何でしょうか。「(反知性主義者の)『短期決戦』スタイルの言論は当然ながら『手間暇をかけて裏を取る』人によってていねいに吟味されるといずれ土台から崩壊する。時間が経てば必ず崩壊する。だから、反知性主義のほんとうの敵は目の前にいる論敵ではない。彼らのほんとうの敵は時間なのである」。反知性主義が永遠に命を長らえることはできないと知って、ホッとしました。
反知性主義の本質とは何でしょうか。「長い時間の流れの中におのれを位置づけるために想像力を行使することへの忌避、同一的なものの反復によって時間の流れそのものを押しとどめようとする努力、それが反知性主義の本質である」。
日本の反知性主義を考えるとき、外せない一冊です。