榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

快男児・榎本武揚が、その人生において犯した重大なミスとは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(538)】

【amazon 『秀吉はいつ知ったか』 カスマターレビュー 2016年9月25日】 情熱的読書人間のないしょ話(538)

あちこちで、カキの実がこんなに色づいています。クモの巣に引っかかって揺れている落ち葉、枯れ葉が秋を感じさせます。因みに、本日の歩数は13,259でした。

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閑話休題、『秀吉はいつ知ったか――山田風太郎エッセイ集成』(山田風太郎著、日下三蔵編、ちくま文庫)は、独特の視点で知られる山田風太郎の歴史エッセイ集です。

私にとって一番興味深かったのは、「その後の叛将・榎本武揚」です。

「写真で明らかな通り、日本人には珍しいほどの颯爽たる美丈夫である。まさに人物、行状、風貌、男の中の男といっていい。この榎本武揚(たけあき)にして、私の見るところでは、その人生において重大な2つのミスをした」。その2つのミスのうち、より重大なのは、「例の福沢諭吉の『痩我慢』問題に見られる福沢との鞘当てである」というのです。

福沢は『痩我慢の説』の中で、勝海舟を嘲罵します。維新時、なお戦う力があったのに幕府を売ってしまったことと、維新後、新政府の栄爵の地位を得たことを弾劾したのです。そして、福沢は矛先を榎本武揚にも向けます。幕軍の榎本が五稜郭で戦って敗れた後、一転して新政府の要職に就いたことを非難したのです。

「武揚は、福沢諭吉について誤判断をやったのである。・・・榎本のミスというのは、この弾劾を受けたこと自体もさることながら、せっかく終世親交を結ぶべき機縁がありながら、その福沢を一種の敵にまわしてしまったことだ。福沢は自己主張も強い人であったが、他人のためにもその宣伝に一役買うことをいとわない人物であった。一方榎本は、プライドは高いのに、自分の功業を書き残すことには甚だ不熱心な人物であった。プライドが高ければこそ、自己宣伝には潔癖感を持っていたのかも知れない。そのために、彼は自分のためのだれよりも強力なスポークスマンになってくれる可能性を持つ人間を、みずから失ってしまったのである」。

「人生には、相結んだり、あるいは相結ぶべき機縁を持った人間同士が、ほんのちょっとしたきっかけで、生涯背を向けあう運命になることがあるが、福沢と榎本の仲がそのいい例だ。しかも両人とも、天狗同士とはいうものの、福沢は平民たることを念願とし、榎本もまた平生ベランメエ調で、好んで市井の博徒などと交遊し、死んだときは『江戸市民葬』の観を呈したというくらいの人間だから、相合う一面も共有していたろうに、惜しいことである」。

山田は、私たちの気づかない歴史の襞の奥にも鋭い目を注いでいるのです。