ルイ14世の実態が見えてきた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(645)】
寒風の中、野鳥観察会に参加し、46種の野鳥を観察することができました。カワセミの雄は下嘴が黒色で、雌は橙色なので、区別できます。群れているカシラダカ、アトリをカメラに収めることができました。モズ、セグロセキレイも見つかりました。ヒドリガモなどのカモたちがたくさん集まっています。因みに、本日の歩数は27,728でした。
閑話休題、『真実のルイ14世――神話から歴史へ』(イヴ・マリー・ベルセ著、阿河雄二郎・嶋中博章・滝澤聡子訳、昭和堂)は、なかなか意欲的な著作です。
精密な実証研究で知られる歴史学者が、絶対王政を確立した君主と位置づけられているルイ14世にまとわりついている数々の既成概念を俎上に載せ、定説に修正を迫っているからです。
「ルイ14世は最初の絶対君主だった」という定説については、著者は、王権は制限されていたとして、ルイ14世の統治様式を「行政的君主政」、「財政国家」と規定しています。「この『財政国家』という表現は、当然のこととして、以下のことを思い起こさせる。すなわち、それ以前は司法が君主の第一の務めと見なされ、国王裁判の最高官僚である大法官がきわめて重要な役割を担っていたが、1661年以降は(そして今日まで?)財政問題の重要性が、非常に権勢のある財務総監を大臣の頂点へと押し上げることになったことである」。
「ルイ14世はフランス革命の先駆者である」、「太陽王の栄光の陰には、農民の悲惨さがある」、「ヴェルサイユの建設工事が国を滅ぼした」、「ルイ14世には多くの愛人がいた」、「ルイ14世は身体を洗ったことがなかった」といった定説への挑戦は、いずれも興味深いのですが、私の関心を最も引いたのは、「ルイ14世には、鉄仮面で顔を隠した双子の兄弟がいた」、「フーケの処罰は不公平極まりないものだった」、よく知られているルイ14世の肖像画――に関する3つの論考です。
著者は、これまでさまざまな説が提出されている鉄仮面の正体として、ジャン・クリスティアン・プティフィスが提唱するウスタシュ・ダンジェ(Eustache Danger、1643~1703年、ルイ14世のイギリスとの秘密交渉の担当者)という人物だとする説に肩入れしていますが、私とは意見が異なります。『鉄・仮・面――歴史に封印された男』(ハリー・トンプソン著、月村澄枝著、JICC出版局。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)がユスターシュ・ドージェ・ド・カヴォワ(Eustache Dauger de Cavoy、1637~1703年、ルイ13世の銃士隊隊長であったフランソワ・ド・カヴォワの三男)なる人物こそ鉄仮面だと論証した説が、多くの説の中で一番説得力があると考えているからです。
それなりに財政長官の役割を果たしてきた二コラ・フーケが、突如、国事犯とされ、不公平極まりない裁判の犠牲者となり、僻地の牢獄で孤独な死を迎えたのはなぜかという、私の長年の疑問に答えが与えられたのです。「フーケを告発した(ジャン・バッティスト・)コルベールの腹黒さと偽善、そしてフーケの失脚に執着した王の冷酷で狭量な振る舞い」が暴き出されています。ルイ14世は、民衆の前にスケープ・ゴートとしてフーケを差し出すために、財政長官の有罪判決を望んだのです。
イアサント・リゴー作の有名な63歳のルイ14世の肖像画は「不思議で謎めいている。なぜなら、全体的に厳粛な雰囲気のなか、成聖式の豪華な衣装を纏いながらも、ルイ14世はいささか行儀が悪く、王位の象徴である王杖をステッキ代わりにクッションに突き立て、衣服の裾を翻してバレエで鍛えた自慢の足を覗かせているからである。足先には赤いバレエ・シューズが輝いている。もっとも、史家コルネットによれば、この肖像画の上部と下部はリゴーの仕事場で別個につくられ、それが一枚の画布に接合されたのだという。その場合、上半分は成聖式を想起させる神聖で荘厳な国王が、下半分は若々しい生身の国王が描かれたことになり、すなわちカントーロヴィチのいう『王の二つの身体(=<政治の身体>と<自然の身体>)』の観念が奇しくも一枚の肖像画に凝縮されたことをコルネットは指摘している」というのです。