葛飾北斎を、心ゆくまで丸かじりできる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1506)】
昆虫観察会では、さまざまな甲虫類も観察することができました。キマダラミヤマカミキリ(キマダラカミキリ)、キスジカミキリ、エグリトラカミキリ、コクワガタの雌の死骸、センチコガネ、交尾中のコフキゾウムシ、オオヒラタシデムシ、ナミテントウ、ハネカクシ、モリチャバネゴキブリ、オトシブミの揺籃、チョッキリの揺籃をカメラに収めました。
閑話休題、『もっと知りたい葛飾北斎――生涯と作品(改訂版)』(永田生慈監修、東京美術)の巻頭の23ページに亘る「冨嶽三十六景」の46作品があまりに素晴らしいので、じっくりと見入ってしまいました。
この中で私が一番好きな「駿州江尻」は、こう説明されています。「大きく蛇行する土手道に、突風が吹き起こった一瞬を捉えた図。木は大きく傾ぎ、土埃で空が黒く霞むなか、着物の裾を押さえたり、飛ばされた笠を追いかけたりと、皆大わらわだ。江尻とは川(江)の尻、すなわち巴川下流の砂州にできた東海道18番目の宿駅を指す」。
「周知のように(葛飾)北斎は、数え20歳で画界に登場し、90歳で没するまでの約70年にわたり、常に作画への執念を燃やし続けた人生を送った。その間、あたかも蛹が脱皮するかのように、新たな分野に挑み、画法、様式すら次々と変貌させていったのである。もちろん、北斎を代表する多くの風景版画ですら、70歳頃の数年間の仕事でしかなく、長い作画活動のほんの一部分の成果にしかすぎない。北斎の大きな魅力のひとつは、把握しがたいほど多彩な作域を示したことにあるといっていいだろう。であれば、一部の風景版画や『北斎漫画』のみを偏重評価するこれまでのとらえ方では、十全な北斎理解は得られるはずはないのである」。
この監修者の言葉どおり、本書では、●誕生・幼少年期(1~19歳)→●習作の時代・春朗期(20~35歳)→●宗理様式の時代(35~45歳)→●読本挿絵と肉筆画の時代(45~52歳)→●絵手本の時代(53~70歳)→●錦絵の時代(71~74歳)→●肉筆画の時代(75~90歳)→●北斎、死す(90歳)――と、その生涯と多彩な作品が丹念に辿られています。
読本挿絵と肉筆画の時代には、頑固者の曲亭馬琴と北斎が互いに一歩も引かなかったエピソードが記されています。「数多くの読本で顔を揃えた馬琴と北斎だったが、その関係は一触即発の状態にあったという」。
「北斎漫画」に代表される絵手本の時代は、こう表現されています。「『画を描くとはすなわち真の姿を写すこと』。葛飾一派の画風を広く世に知らしめるため、絵手本制作に心血を注ぐ」。
「(版元の)永楽屋に宛て、北斎がしたためた借用書は、芝居仕立てのユニークなものだった。裃を着けた役人と平身低頭する老人(北斎)の図を添えたり、自身の名を『ヘクサイ』(屁臭い)と表現するなど、北斎の茶目っ気ぶりに思わず笑みがこぼれるような内容である」。
「東海道名所一覧」には、思わず目を瞠りました。「東海道の名所と各宿場を描いた鳥瞰図で、画面右下に江戸日本橋を置き、東海道を大きく蛇行させて、終着点の京都を右上に配した斬新な構図となっている。細部に目をやると、人家や田んぼ、橋や舟までもが描き込まれ、時に米粒よりも小さな墨色の点で人物が表現されるなど、見飽きることのない作品である、北斎の大々判鳥瞰図は好評だったと見え、本図以外に5種類あったことが確認されている」。
錦絵の時代に漸く「『風景版画家北斎』、ここに誕生。老いてなお、情熱の炎は盛んとなり、画技を極めんとした。人としてのスケールの大きさに感服」。
北斎の最期の言葉は、「あと10年、いや、せめて5年生かしてくれ。そうすれば、まことの絵描きになってみせる!」だったと伝えられています。
北斎を、心ゆくまで丸かじりできる一冊です。