仲の良い美術史家3人が美術館で言いたい放題・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1894)】
ハシブトガラスが乳母車(ベビーカー=和製英語)に止まり、何か食べ物がないか探していたが、諦めたようです。ソケイノウゼン、タチアオイ、ゼニアオイ、ウスベニアオイ(コモン・マロウ、ブルー・マロウ)、モナルダ(ベルガモット)、アベリア(ハナツクバネウツギ)が咲いています。
閑話休題、『初老耽美派 よろめき美術鑑賞術』(高橋明也・冨田章・山下裕二著、毎日新聞出版)は、仲の良い3人の美術史家の、国立西洋美術館、東京国立近代美術館、東京国立博物館、東京都現代美術館を巡る対談集です。
「初老耽美派の『気高き』理念は、『ぼーっと仲良く美術作品を眺める』ことただひとつ。ぼくらは、美術鑑賞には正解などなく、そもそも美術は役に立たないものであると思っています。・・・正解がないこと、役に立たないもの――それこそが、美術鑑賞と美術のもっとも尊く、揺るぎない価値であるからです」。
東京国立博物館――
●山下=儀式に使われていたと言われているのは縄文時代の土製人形である土偶ね。古墳時代に作られた葬送品が埴輪。埴輪といえば、展示されていたらぜひ見てもらいたいのが、『埴輪 猿』(6世紀)。この猿がとにかくかわいいんだよ! ゆる~い表情をした顔に、ポッと当てたライティングもすばらしい。
●冨田=入り口で、おすましした『埴輪 盛装女子』(6世紀)が迎えてくれた。●山下=いい顔してるんだよね。目尻が下がっていて、ほんのり泣き笑いの表情。『埴輪 盛装女子』は女子埴輪を代表する作品で、これも重文指定されている。
●山下=東博には、皮肉なことに超絶技巧の作品の近くに高村光太郎の作品が置かれていた。こいつがロダンにかぶれて、佐藤朝山みたいな作品を否定したから、明治の工芸品がおとしめられたんだよ。じつはこの人がいちばん『悪い人』。彫刻家で、詩人、歌人、画家の高村光太郎は、ヨーロッパのアカデミズムを持ち上げて、日本の職人的なものを見下した。それは、仏師で彫刻家だった親父の光雲に対するコンプレックスの裏返しでもあって、複雑な感情なんでしょうけれどね。しかも光太郎の書いた『智恵子抄』が大ヒットしたもんだから、みんな光太郎の言うことになびいちゃって、ますます明治の工芸品は低く見られた。だから、ぼくは光太郎が諸悪の根源だと思ってる。
東京都現代美術館――
●冨田=現美で見た彫刻家、棚田康司の『雨の像』(2016年)のおっぱいもよかったね。・・・何がすばらしいって、木の年輪を完全に読みきっていたこと。濃い色の年輪のところがちょうど、乳輪部分にくるようになっていた。こういう計算はすばらしいと思うな。でも計算していなかったら、もっとすごいけれど。●山下=あれには驚いた。冨田さんに言われてみて、なるほど! と思ったよ。棚田、やるな! ってね。●高橋=小ぶりなおっぱいの大きさも、そのために計算されているのかもしれないね。●山下=ぼくは横から見た角度がいいな~と思ったな。ぼくの生理曲線にドンピシャリ。
なぜか、妙に癒やされる一冊です。