東京・武蔵野の古墳を通じて当地の古代に迫ろうという意欲的な論考・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2672)】
スパイラル・ジンジャー(コストゥス・バルバトゥス、コモススベイケリ。黄色いのが花、赤いのは苞。写真1、2)、シマサンゴアナナス(エクメア・ファッスィアータ。桃色のは苞。写真3)が目を惹きます。アカボシゴマダラ(写真4~6)、シオカラトンボの雌(写真7、8)、クマバチ(キムネクマバチ。写真9)をカメラに収めました。我が家にアブラゼミの雌(写真10、11)がやって来ました。撮影後、放しました。
閑話休題、『東京の古墳を探る』(松崎元樹著、吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)は、東京・武蔵野の古墳を通じて当地の古代に迫ろうという意欲的な論考です。
「本書のおもな舞台となる多摩川流域に展開する古墳造営の画期に関して、著者は次の5つの時期に区分している。第1の画期は、下流域左岸に大型前方後円墳が出現する(古墳時代の)前期中葉である。第2の画期は、中・下流域にかけて帆立貝形古墳の継起的築造に加え、畿内色の強い副葬品を有する中期前葉段階。第3の画期は、中流域を中心に竪穴系埋葬施設を有する円墳を主体とした初期群集墳が登場する中期後葉から後期前葉段階。第4の画期は新たに導入される横穴式正室の出現であり、おおむね後期後葉段階に相当する。最終の画期は、前方後円墳の消滅と小規模な石室群集墳や横穴墓群が形成される終末期段階である。著者は、横穴墓も終末期群集墳の一類型として位置づける立場をとっている。これらの古墳のあり方は、他の地域の古墳文化の推移とは必ずしも一致しない。むしろ、各地域の社会的環境や条件等により、古墳の様相は違った展開をみせるのである。そこに、古墳の地域的研究の意義を見出すことができよう」。
「若小玉地域に径74メートルの大型円墳で、緑泥片岩の巨石を用いた胴張り複室構造の横穴式石室を内蔵する八幡山古墳が出現する。規模の上では、武蔵領域における突出した古墳であり、7世紀中葉の首長墓として位置づけられる。また、数少ない遺物の中には、畿内王権が技術を独占していた漆紵棺や漆塗り木棺が検出されたことで、その被葬者が倭王権との密接な関係性を有していたことが指摘され、633年に武蔵国造に任命された物部連兄麻呂とする説がある」。
「7世紀後葉段階において、胴張り複室形の横穴墓をのこした階層は、従来型の地域首長ではなく、律令制社会に移行する過程で各地に編成された郷長クラスの一員としての位置付けが妥当であり、むしろ官人的な性格を有していたと思われる」。
「このように、横穴墓や石室墳を造営し、実質的に武蔵野の開拓を進めた造墓集団の性格としては、在地的要素を基盤としながらも、一方では、外来者である渡来系や東北系移民を受け入れる寛容性を併せ持っていたのではないだろうか。さらに、7世紀以降の広範かつ活発な東西交流により、窯業や鍛冶技術、あるいは牧経営などの新たな生産基盤の導入が図られたに違いない。そうした背景には、東国の在地集団との関係を有する東海あるいは畿内の氏族集団や職能集団の存在も、十分に想定される」。